【おらしょ通信】 vol.339「左遷と人生」

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【おらしょ通信】 vol.339「左遷と人生」

企業など組織の維持、発展に欠かせないのが人材。その重要さから「人財」ともいわれますが、そこには貢献度によって待遇が異なるという現実があります

順調に昇進していく人がいる一方で、降格したり、組織の中枢から離れた部署に異動になったり、地方へ転勤したりする人も出てきます。

いわゆる「左遷」といわれる状態のことで、ビジネス界を舞台にしたドラマなどでもよく耳にしますね。

今日1月25日は「左遷の日」。901年(延喜元年)のこの日、右大臣 菅原道真が醍醐天皇によって九州の大宰府に左遷されたことから制定されたようです。

左遷の背景には左大臣 藤原時平の陰謀があったようで、道真が政治を私物化していると醍醐天皇に何度も告げ口したのがきっかけだったとか。

誰かの策略によって・・・、為政者の意に背いて・・・など、左遷の理由は様々でしょうが、禁教期、幕府のキリシタン政策に応えることができず左遷させられた領主もいたのでしょうね。

キリシタン大名 有馬晴信の跡を継いで島原地方を治めた有馬直純の場合はちょっと事情が違っていたようです。

彼は徳川家康の近侍だったこともあり、相続後すぐに棄教してキリシタン弾圧に乗り出しました。しかし各地に強固な信徒組織が根付いていたため、思うように弾圧が進まない。困った直純は、このままでは幕府からあらぬ嫌疑をかけられると思い、さらに弾圧を徹底する一方、父と後妻のあいだに産まれた異母弟たちを殺害してしまったのです。

その後、彼は良心の呵責に耐えきれなくなり、自ら幕府に国替えを申し出て日向延岡に赴いたのでした。

出世を目標に頑張るのもいいですが、それによって自分を見失ったり他人を傷つけてしまったりしては元も子もありませんね。

幸せっていったい何なのでしょうか。あらためて考えてしまう年の初めです。

 

(文:ヒラモトヨシノリ、イラスト:ナカムラタエ)

長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・おらしょ通信(vol-339)
より(毎週月曜日更新)

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