島原地方と天草地方の領民が圧政に反発して蜂起した両一揆勢は原城に立て籠もって戦い、1638年4月12日(陽歴)に全員討ち死して終わっている。一揆勢の首は3分割して夫々長崎の西坂と天草の苓北町富岡と愛野(旧愛津村)にある直径10メートル高さ5メートル程の円墳に埋祀したとも伝えられている。この小さな円墳は首塚と呼ばれていて、暴徒化した一揆軍の遺体の墓とか古墳時代の豪族の墓との説もあるとか。
掲載の写真は愛野に残る首塚を撮影した作品である。円墳の底部には蘇鉄があることから原城の一揆勢の首が埋祀されているのではないかと思って蘇鉄を意識して撮影した。
今回で以って11週に亘って連載した「原城への道程」シリーズは一旦終りますが、これらから世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の価値の一端でも汲み取って頂ければ幸いです。
- 撮影日時:令和2年(2020年)8月30日 午後3時半頃
撮影場所:雲仙市愛野町 - 撮影者:池田勉
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長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・フォト巡礼
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