【フォト巡礼】「『原城への道程(みち)』(その10)鎮圧参戦の死者追悼碑」

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【フォト巡礼】「『原城への道程(みち)』(その10)鎮圧参戦の死者追悼碑」

島原藩領と唐津藩天草領の領民は厳しい年貢とキリシタン弾圧に耐え兼ねて蜂起した一揆勢は1637年に廃城の原城に立て籠もって戦っている。歴史上有名な島原の乱である。この乱の鎮圧に徳川幕府は大々的な軍勢を送って対応しているが、その中で佐賀藩諫早領の3代領主諫早茂敬は2千人の兵を率いて参戦したが92人の戦死者を出す犠牲を被っている。諫早領主は乱鎮圧後33回忌に当る1672年に追悼碑を建立して彼ら戦死者を慰霊している。

掲載の写真は曹洞宗天祐寺境内に建立されている島原の乱戦没者追悼碑を撮影した作品である。同碑には戦没した武士67名、又者14名、百姓11名の名が刻されていて、1979年(昭和54年)に諫早市の有形文化財に指定されている。

  • 撮影日時:令和2年(2020年)8月30日 午後3時半頃
    撮影場所:諫早市西小路町
  • 撮影者:池田勉

※写真の著作権は撮影者にあります。著作権法によって認められる場合を除き、写真を利用することはできません。
※撮影者は被写体の人物や所有者に許可を取ったうえで撮影しています。教会堂内の写真撮影は基本的に認められていませんのでご注意ください。

長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・フォト巡礼
より(毎週金曜日更新)

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