【フォト巡礼】「『原城への道程(みち)』(その9)天草四郎ら出島に晒首」

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【フォト巡礼】「『原城への道程(みち)』(その9)天草四郎ら出島に晒首」

4ヶ月にも及んだ一連の島原と天草の一揆は1638年(寛永15年)2月28日に幕府軍の総攻撃で一揆軍は全滅して幕を閉じた。その後、幕府は一揆を引起した両藩に厳しい沙汰を執りながらも、この事態はキリシタン主導と見てキリスト教布教を伴うポルトガルとの交易を中止し、出島を拠点とするオランダとの交易に一本化した所謂鎖国令を施行した。その一方で多種多様な対策を講じてキリシタン取締りを強化した。これらに対してキリシタン達は潜伏して密かに信仰し継続している。そうして暗くて辛い潜伏信仰の扉は凡そ250年に亘る長い歴史の中で一度も開かれることは無かった。

掲載の写真は長崎の出島を撮影した作品である。当時ポルトガル人が居住している眼前に天草四郎時貞他数名のキリシタンの首が数日間晒されていたとされる。

尚、この一揆が所謂潜伏キリシタンの「きっかけ」となったとのことで、原城跡は2018年7月4日に登録された世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の12構成遺産のひとつに挙げられている。

  • 撮影日時:平成29年(2017年)9月22日 午後5時頃
    撮影場所:長崎市出島町
  • 撮影者:池田勉

※写真の著作権は撮影者にあります。著作権法によって認められる場合を除き、写真を利用することはできません。
※撮影者は被写体の人物や所有者に許可を取ったうえで撮影しています。教会堂内の写真撮影は基本的に認められていませんのでご注意ください。

長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・フォト巡礼
より(毎週金曜日更新)

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