一揆を鎮圧する幕府軍の上使松平信綱は兵糧攻めの作戦を採り、そうして一揆軍の兵糧が尽き疲弊したところを狙って、寛永15年(1638年)2月28日(陽暦4月12日)に幕府軍は総攻撃を仕掛けて、細川藩が放った火矢が本丸建物を燃え上がらせて一揆軍は遂に力尽き、総勢2万数千人とも言われる全員がキリシタンの旗に散り、4ヶ月に及んだ一揆は終りを告げた。
掲載の写真は原城上空の夕焼け雲を撮影した作品である。赤々と燃え上がる落城の火をイメージしながら撮影した写真であるが、一方でマルコス神父が言い残した「26年後の善人」とする天草四郎に帰依したキリシタン信仰で蜂起した志が上空で炎のように燃えているようでもあった。
- 撮影日時:平成24年(2012年)10月8日 午後6時頃
撮影場所:南島原市南有馬町 - 撮影者:池田勉
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長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・フォト巡礼
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