島原半島から海を隔てた天草地方も元キリシタン大名・小西行長の領地であったことからキリシタンの多い地域である。関が原戦の後に領主小西行長は斬首され天草は唐津藩寺沢広高の領地となった。同領主は富岡に城を築き天草の守りを強化する一方で3万石を4万石余に引き上げて過酷な年貢を領民に課している。更にキリシタン取締りも強化している。これらの過酷年貢とキリシタン弾圧は島原藩と類似している。これらに反発して大矢野島・上津浦の元キリシタンたちがかねてから圧政に反感を持つ領民を巻き込んで蜂起した一揆勢は天草四郎時貞を旗頭にして、関が原参戦者で浪人の益田甚兵衛の指揮により本渡を攻撃し富岡城代三宅藤兵衛を討ち取り、勢いを増して富岡城に迫った。北丸を落としたものの本丸を陥落させるには至らなかった。
掲載の写真は天草の富岡城を撮影した作品である。守りが堅く天草の一揆勢が攻撃して落せなかったとされる。同城は2005年(平成17年)に復元されている。
- 撮影日時:平成23年(2011年)7月30日 午後6時頃
撮影場所:熊本県天草郡苓北町 - 撮影者:池田勉
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長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・フォト巡礼
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