【フォト巡礼】「『原城への道程(みち)』(その1)島原城主のキリシタン弾圧」

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【フォト巡礼】「『原城への道程(みち)』(その1)島原城主のキリシタン弾圧」

島原半島はキリシタン大名・有馬晴信の所領下であったことからキリシタンが多く、特に半島南部域では領主居城下にあって領民の殆どがキリシタンであったとされる。1616年に藩主有馬直純が日向延岡に転封して奈良五条から松倉重政が新藩主となった。同藩主は日野江城と原城を廃城にして1618年から7年掛けて島原に築城している。その一方で幕府の厳命を受け1620年頃からキリシタンの取締りを強化して迫害に転じ、中でも1627年の雲仙地獄での迫害は想像を絶するもので、元有馬領主の家臣でリーダー格の内堀作右衛門ら26人が殉教している。また同氏の子息3人を有明海で厳しい拷問に掛けて殉教に及んでいる。

掲載の写真は雲仙地獄で壮絶な迫害が行われた跡地に立つ殉教者記念の十字架である。雲仙地獄での拷問は長崎奉行と共に1632年まで5年間続けられている。

尚、今回から原城に立て籠もって戦った「島原・天草の一揆」に至る過程などを「原城への道程(みち)」として11週に亘って連載する予定です。

  • 撮影日時:平成29年(2017年)2月16日 午後4時頃
    撮影場所:雲仙市小浜町
  • 撮影者:池田勉

※写真の著作権は撮影者にあります。著作権法によって認められる場合を除き、写真を利用することはできません。
※撮影者は被写体の人物や所有者に許可を取ったうえで撮影しています。教会堂内の写真撮影は基本的に認められていませんのでご注意ください。

長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・フォト巡礼
より(毎週金曜日更新)

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