【フォト巡礼】「上のとん(殿)の墓」

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【フォト巡礼】「上のとん(殿)の墓」

1563年に大村純忠は横瀬ヶ浦を開港して南蛮船が入港しているが、外部からの攻撃で焼き討ちに合い一年足らずで閉じている。その後、純忠の家臣でキリシタンの福田領主福田忠兼が開港した福田浦に南蛮船は入港している。これに対し南蛮船を再び平戸へと目論む松浦隆信は福田浦を襲撃するが反撃に合って撃退している。1565年に南蛮船の来航を受けて福田浦は繁栄し、それに伴ってキリシタンも急増したが、1570年に長崎港が開港されると除々に福田浦は衰退して終った。

掲載の写真は福田忠兼の遠祖の墓と推測されている「上のとん(殿)の墓」を撮影した作品である。その他に手熊には福田忠兼の父兼次と思われるキリシタン墓や忠兼の子兼親の墓として「下のとん(殿)の墓」残されている。

  • 撮影日時:令和2年(2020年)9月20日 午後4時半頃
    撮影場所:長崎市手熊町
  • 撮影者:池田勉

※写真の著作権は撮影者にあります。著作権法によって認められる場合を除き、写真を利用することはできません。
※撮影者は被写体の人物や所有者に許可を取ったうえで撮影しています。教会堂内の写真撮影は基本的に認められていませんのでご注意ください。

長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・フォト巡礼
より(毎週金曜日更新)

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