【フォト巡礼】「古賀のキリシタン殉教碑」

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【フォト巡礼】「古賀のキリシタン殉教碑」

キリスト教の伝播・普及期である1570年頃、古賀地区は宣教を推進する島原の有馬氏の領地であった。そのため、神社や仏閣が焼き払われ、領主の庇護を受けて住民のほとんどがキリシタンだったと言われている。その後、江戸時代の禁教期、当地は、雲仙における「地獄攻め」という拷問で名高い島原藩主・松倉重政の統治下となり、キリシタンの弾圧は一層厳しさを増し、多数の殉教者が出た。ヨハネ荒木勘七は、「地獄攻め」により竹鋸で首を引き裂かれて殉教したと言われている。

掲載の写真は、殉教の碑を撮影した作品である。八郎川沿いの水田脇に立つ碑には、花が飾られるとともにマリア像が奉げられており、追悼の心が漂っていた。

  • 撮影日時:2020年6月20日 午後4時半頃
  • 撮影場所:長崎市古賀町
  • 撮影者:池田勉

※写真の著作権は撮影者にあります。著作権法によって認められる場合を除き、写真を利用することはできません。
※撮影者は被写体の人物や所有者に許可を取ったうえで撮影しています。教会堂内の写真撮影は基本的に認められていませんのでご注意ください。

長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・フォト巡礼
より(毎週金曜日更新)

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