【フォト巡礼】「大村藩初の殉教」

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江戸幕府は1614年、全国にキリスト教禁教令を発した。これに先立って初代大村藩主の大村喜前は、自ら棄教してキリシタンの取締を強化する中で、フランシスコ会のペドロ神父とイエズス会のマシャード神父の二人を1617年に処刑し、大村藩内で初めての殉教者を出した。現在、その地は「帯取殉教地」として石碑が建てられている。処刑は十二社権現で行なわれたと言われており、その場所は殉教碑から西に向けて少々下った場所に当たるが、現在は道路脇の小高い雑木林となっていて同権現の面影は残っていない。

掲載の写真は、十二社権現の鳥居跡を撮影した作品である。石造の名板と鳥居の両柱の一部分が保存されている。

  • 撮影日時:2020年6月17日 午後3時半頃
  • 撮影場所:大村市今富町
  • 撮影者:池田勉

※写真の著作権は撮影者にあります。著作権法によって認められる場合を除き、写真を利用することはできません。
※撮影者は被写体の人物や所有者に許可を取ったうえで撮影しています。教会堂内の写真撮影は基本的に認められていませんのでご注意ください。

長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・フォト巡礼
より(毎週金曜日更新)

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