大村藩の初代藩主喜前は江戸幕府の禁教令に遵守して自らキリスト教を棄教し藩内でのキリシタン取締りを強化している。このような四代目藩主大村純長の体制下の1674年に郡崩(こおりくずれ)が勃発して、510人のキリシタンが斬首、または獄中死する事件が起きている。
その後、大村藩はキリシタン対策として集落や長崎街道沿、平戸街道沿に千部塔や万部塔を建てて神仏信仰を推奨されたと言われている。その内で彼杵宿から俵坂峠に向う長崎街道沿いに大きな楠があるが、この場所にも万部塔が建てられていて、街道を往来する多くの旅人たちは「ここには潜伏キリシタンは一人も居ない」と認識されたのであろうか。
掲載の写真は長崎街道の坂道にある大楠と万部塔を撮影した作品である。この楠は周囲16.9メートルの特大と言われていたが、明治二十年代後半に伐採されていて、現在の楠は2代目となっている。
- 撮影日時:令和2年(2020年)5月24日 午後1時半頃
- 撮影場所:東彼杵郡東彼杵町菅無田郷
- 撮影者:池田勉
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長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・フォト巡礼
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