【おらしょ通信】 vol.304「金鍔の話」

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【おらしょ通信】 vol.304「金鍔の話」

お酒をあまり飲まなくなってから、それまで口にしなかった甘い物を食べるようになりました。

 

好きなのは和菓子で好物は金鍔(きんつば)。あのホロホロとほどけるように口に広がる小豆の甘さが絶妙です。

 

長崎市戸町に金鍔というバス停があるのをご存じでしょうか。

 

以前、訪れる機会があり地元の人にきいたところ、近くにある洞窟に金鍔次兵衛(じひょうえ)という日本人宣教師が潜伏していたことからそう呼ばれるようになったとのことでした。

 

次兵衛は肥前大村の出身。キリシタンの両親の元に生まれ、6歳のときに司祭を志して有馬のセミナリヨの予備級に入学しました。

 

その後、禁教令によってマカオに追放され、同地のセミナリヨで学んだのですが、そこが閉鎖となったため一旦帰国し、再びマニラに渡ってアウグスチノ会の司祭となり日本に潜入。

 

長崎奉行所の馬丁になりすまして幕府の情報を収集したり、牢に囚われた宣教師の教えをキリシタンに伝えたりするなど献身的に活動を続けました。

 

正体を知られるとすぐに姿をくらまし、西彼杵半島の山中にいたかと思うとすでに江戸にいるなど、その素早い行動から魔術を使っているのではないかといわれていたそうです。

 

しかし1636年、そんな次兵衛もついに捕らえられ、翌年、長崎の西坂の丘で穴吊りの刑に処せられました。

 

金鍔次兵衛の「金鍔」は彼が金の鍔の刀をさしていたからとのこと。和菓子の「金鍔」もその名は刀の鍔に由来するのだとか。いずれにしても味わい深い話です。

 

(文:ヒラモトヨシノリ、イラスト:ナカムラタエ)

長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・おらしょ通信(vol-304)
より(毎週月曜日更新)

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