【フォト巡礼】「中浦ジュリアン」

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【フォト巡礼】「中浦ジュリアン」

 

1582年、ヴァリニャーノ神父の発案で、13才から14才の少年4人が天正遣欧少年使節として派遣された。派遣者は、豊後守護職・大友宗麟の名代で主席正使・伊藤マンショ、領主大村純忠の名代で正使・千々石ミゲル、中浦ジュリアン(副使)、原マルチノ(副使)の4人であった。彼ら一行は、長崎港から船出し、8年後の1590年に帰国したが、彼らを取り巻く環境は出国する時と大きく異なり、時代は禁教へと向かっていた。

掲載の写真は、派遣者の一人である中浦ジュリアンの像を撮影した作品である。西洋行きに燃えた心意気が見える西向きの指に焦点を置いて表現した。帰国後はイエズス会に入会しマカオで学んで司祭に叙階されたが、1633年に西坂で穴吊りの刑で殉教して、2007年に福者に列せられている。

  • 撮影日時:2015年6月28日 午前11時半頃
  • 撮影場所:西海市西海町
  • 撮影者:池田勉

※写真の著作権は撮影者にあります。著作権法によって認められる場合を除き、写真を利用することはできません。
※撮影者は被写体の人物や所有者に許可を取ったうえで撮影しています。教会堂内の写真撮影は基本的に認められていませんのでご注意ください。

長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・フォト巡礼
より(毎週金曜日更新)

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