【フォト巡礼】「千々石ミゲル」

このページを印刷する

【フォト巡礼】「千々石ミゲル」

 

1582年、ヴァリニャーノ神父の発案で、13才から14才の少年4人が天正遣欧少年使節として派遣された。派遣者は、豊後守護職・大友宗麟の名代で主席正使・伊藤マンショ、領主大村純忠の名代で正使・千々石ミゲル、中浦ジュリアン(副使)、原マルチノ(副使)の4人であった。彼ら一行は、長崎港から船出し、8年後の1590年に帰国したが、彼らを取り巻く環境は出国する時と大きく異なり、時代は禁教へと向かっていた。

掲載の写真は、派遣者の一人である千々石ミゲルの像を撮影した作品である。希望に燃えて西洋に向かう心意気が見える堂々の手に焦点を絞って表現した。彼は、千々石の釜蓋城城主の子息で有馬晴信の従兄弟でもある。帰国後はイエズス会に入会し、マカオで学んでいたが、後に棄教したと言われている。

  • 撮影日時:2015年3月21日 午後5時頃
  • 撮影場所:雲仙市千々石町
  • 撮影者:池田勉

※写真の著作権は撮影者にあります。著作権法によって認められる場合を除き、写真を利用することはできません。
※撮影者は被写体の人物や所有者に許可を取ったうえで撮影しています。教会堂内の写真撮影は基本的に認められていませんのでご注意ください。

長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・フォト巡礼
より(毎週金曜日更新)

このページの掲載元