【フォト巡礼】「宝生寺の教会跡」

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フォト巡礼「宝生寺の教会跡」

 1563年に洗礼を受けた領主・大村純忠は、1574年に領民の一斉改宗を行い、領内の寺社・仏閣を徹底して破壊した。居城の三城城の辺りには多くの寺院が建ち並んでいたが、純忠によって破壊され、宝生寺だけが残りそのまま教会として使用された。その後、大村喜前により1614年、徳川幕府による禁教令に準じて教会としての宝生寺も破壊されたと言われている。

 掲載の写真は、宝生寺が建てられていた跡地の付近を撮影した作品である。現在は、住宅や線路となっており、往時の面影が目には見えなかった。

  • 撮影日時:2016年6月30日 午後2時半頃
  • 撮影場所:大村市三城町
  • 撮影者:池田勉

※写真の著作権は撮影者にあります。著作権法によって認められる場合を除き、写真を利用することはできません。
※撮影者は被写体の人物や所有者に許可を取ったうえで撮影しています。教会堂内の写真撮影は基本的に認められていませんのでご注意ください。

長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・フォト巡礼
より(毎週金曜日更新)

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