江戸時代に構築された長崎街道は、東海道などの主要五街道と同等の格付けで取り扱われていた。同街道は、小倉から長崎まで57里(228km)の距離で25の宿場があった。佐賀領と大村領境の俵坂峠には、俵坂口留番所が設けられていた。鎖国時代には、長崎から大阪、京都、江戸へと物資を流通するほか、多くの人々が往来する中で、関所として機能していたことから別名、俵坂関所とも呼ばれていたと言われている。中でもキリシタンに対する取り締まりは格段に厳しかったようである。
掲載の写真は、往時の石造門柱が建てられていた同関所跡を撮影した作品である。厳しいキリシタンへの圧力と歴史感を深める観点で積雪時を待って撮影している。
- 撮影場所:佐賀県嬉野市
- 撮影日時:2018年2月13日 午前10時頃
- 撮影者:池田勉
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長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・フォト巡礼
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