長崎県

Vol. 135 中国 郭麗 (カク レイ)


2017年11月13日更新

大家好(ダージャーハオ)。 
皆さん、こんにちは。長崎県国際交流員の郭です。

お元気でいらっしゃいましたか。気がつけば、季節が早くも12月になりました!12月といえば、やはり1年の終わりでしかも新しい1年につながるというイメージがありますね!過ぎ去っていく一年間を振り返り、これからの1年間に期待するのは誰でも感慨無量でしょう。

せっかく長崎に縁があり、ここで1年間仕事と生活をすることが出来るので、長崎県の皆様にありのままの中国を発信しなければならないと思います。
前回はここ30年以来の中国の変化をご紹介させていただきましたが、日本人または日本という国、特に長崎は中国からどう思われているのか関心を持たれた方がいらっしゃるのではないかと思って、今日は「一般人の中国人の私から見た日本」をテーマに、一般的な中国人が日本と長崎に関するイメージをご紹介いたしたいと思います。

 

 「同じ河に二度入ることはできない」というギリシャ人の哲学者・自然哲学者のヘラクレイトスの言葉のように、世の中の万物は流転します。私自身の日本についてのイメージも時代と年齢とともに変わりつつあります。

まず、幼少期(20世紀80年代中間)――「子供がテレビでアニメなどを見ることができる」憧れの日本。
前回のコラムにおいてもご紹介したように、私の幼少期の中国は改革開放が始まったばかりで、農村はもちろん、国全体も貧しかったと言えます。
小学校時代のある日に隣村のある人の家で初めてテレビを見たのを契機に「一休さん」という日本の有名なアニメを知り、そして日本という国についても少しながらイメージが出来ました。
 それは、その日の深夜に姉と手をとりながらこわごわと真っ暗な道を歩きながら考えていた「日本の子供たちは幸せね、毎日テレビで『一休さん』というような面白いアニメを見ることができるって。わたしたち中国人の子供たちもいつか日本の子供のように自分の家でもテレビを持って、見ることができるといいね」という憧れです。

中学校から高校まで――「友好が主流である中日関係」と「豊かな日本」
 とくに印象に残ったのは2点あります。
1点目は、私が使用した中国の教科書には「中日両国は一衣帯水の隣国として、2000年以上にわたる友好関係を持っています。両国の関係は山あり、谷ありですが、全体からいえば、友好が主流です。」とか、「第二次世界大戦のとき、日本は中国に侵入して中国に多大な罪を犯しましたが、悪かったのは軍国主義者であり、普通の日本の国民ではありませんでした。むしろ日本の国民も軍国主義の被害者です。」とか書いてあったことです。そして、「鑑真和上は戒律を日本へ伝えるために、6回も渡日しようとしたが、前の5回にわたり試みたがことごとく失敗した。失明してしまった6回目にやっと宿願の渡日を果たすことができた。」といった中日友好交流の話を読んだとき、涙が出るほど感動しました。
2点目は、周りの人から旅行社の日本語のガイドさんたちがかなり儲かっていると聞いたことです。そのときはちょうど1990年代前後なので、中国へ旅行に行ったりした日本人の観光客はみんな今日本に来ている中国人の観光客のように爆買いをしていたのです。それで、「日本人はみんな大金持ち」というイメージができたわけです。
自分も大金持ちになって苦労した両親に幸せな生活を送らせようという考え方もあるし、そして日本語の中に漢字が多くて勉強しやすいのではないかという怠け者の考え方もあり(笑)、大学の志望専攻を日本語科と記入しました。

 大学時代――日本語や日本文化を習ったのみならず、真面目で優しい日本人にも接しました
 本科生4年間と院生3年間、全部で7年間を湖北省にある武漢大学で過ごした私は、多くの日本人の先生と日本人留学生に接触しましたが、ここで一番印象深い一人の方をご紹介させていただきます。
それは当時留学生でしたが、今まだ中国で活躍していらっしゃる神田さんという方です。
神田さんについて一生でも忘れられないことがあります。それは、修士論文を提出する前に神田さんからチェックしてもらったことです。とても長い文章なので、目を通して、大きな間違いをご指摘いただければと神田さんにお願いしたら、神田さんは、「これは郭さんにとってとても大事なものでしょう。大事に対応しなければならないと僕は思いますので、お互いの都合がいいとき、一緒に1行1行と見ていきましょう。」と言ってくれました。そして、半日以上も使って1行1行チェックしたり、修正したりしていただきました。無事に卒業できたのはすべて神田さんのおかげだというと指導教官の先生に怒られますが(笑)、神田さんに大きな関係があるといってはまったく過言ではありません。このご恩はいつでも忘れません。
こうして、大学時代には、神田さんをはじめ、接した日本人の方々を通して、日本人について「真面目でやさしい」というイメージができました。

卒業してから今まで――この目で見た日本&長崎
2008年に旅行で初めて日本に来ました。何もかも新鮮に感じましたが、特に驚いたのは2点あります。
1点目は、日本はなんと綺麗な国かということです。富士山をはじめの自然景色はもちろん、どこへ行ってもゴミがなかなか見えない町や村も本当に綺麗です。
2点目は、年配の方々も一生懸命働いていらっしゃるということです。私が滞在した一週間の観光バスの運転手は70歳以上の男性でした。連日運転するのは大変ですが、荷物の積卸までしてくださいました。日本は高齢化問題を抱えていると資料から知っていましたが、こんな深刻になっているとは思いませんでした。「お気の毒ですね」と思っていました。
 「仕事をして、体を動かすことができるから健康にいいのは何よりだが、それでお金が出て、悪くもない」と、この間グラバー園で出会ったお爺さんのお話しを聞いて、今は日本の年配の方々がお仕事をなさるのは何よりも健康のためだと分かるようになりました。
2回目は2011年の日本語教授法の研修でした。私たち研修員はみんな、テレビの大震災に見舞われた後の日本人の黙々と並んで救助を待っている姿に感心しました。
研修の最後の1週間は見学旅行で、広島や京都へ行きました。奥深い京都の魅力に魅了されたのはもちろんですが、広島平和記念資料館で展示された被爆当時の写真や映像などを初めて見たわたしは大変ショックを受けました。そして、中国の歴史の教科書に書いてある「日本国民の皆さんも軍国主義の被害者である」という意味をいっそう深く理解できました。
 また、その研修のおかげで、2人の日本人の友人ができました。わたしたちは今でも連絡をしています。いつも優しく取り扱ってくださっているお姉さんのような方々です。ちなみに1人は長崎県のご出身の方です。
 こういえば、私と長崎とのつながりはそのときからもう始まっているのではないかと思います。

今回は、長崎は初めてですが、すぐ一目ぼれしました(笑)。
まず、こちらのすばらしい自然景色と数多くの文化財がある街並みに驚きました。
中学校の歴史教科書から長崎は日本の歴史において海外と交流する窓口であったと習ったこともあり、来る前に資料を読んだり同僚から聞いたりして、長崎は綺麗な街であると知っていましたが、来てこの眼で見たら、やはり長崎の魅力に驚きました。青々とした長崎港に寄港した立派なクルーズ客船、異国の情緒が漂っているグラバー園と数多くの教会、眩しいほど美しい夜景、安くて便利でかわいい路面電車、閑静な坂道、そして新地中華街、眼鏡橋、孔子廟、興福寺をはじめとした多くの唐寺といった中国に縁が深い観光スポットなど、枚挙に暇がありません。それらはどれもこれも魅力いっぱいで私の心をひきつけています。
長崎市内はもちろん、佐世保や平戸などへも行きました。そして何千枚以上の写真を撮って、日本のLineと余り変わらないWeChatに投稿したら、友人から「仙境みたい!」「綺麗!行きたい!!!」「いいね」とコメントがどんどん来ています。微力ながら長崎のことをPRすることができてとてもうれしいです。

 

稲佐山からの眺め 

 

長崎港の風景1 

 
長崎港の風景2

それから、こちらの方々の明るさと優しさに心が打たれました。
 人はいくら外見が綺麗でも、心が優しくなければ、だんだん敬遠され、やがて嫌われてしまう可能性が高いですね。同じように、ひとつのところはいくら自然景色がすばらしくても、そこの人々が暗いなら、いつまでも人気を維持するのは難しいでしょう。
長崎に赴任して以来、数多くの方々に接してきましたが、えっと感じたのは一人もいないとは言えませんが、まず少ないです。
職場の県国際課の方々からはもちろん、仕事の面でも、生活の面でも、大変お世話になっておりますが、道をさるいているとき偶然出会った多くの方々もすごく明るくて優しく接してくださいました。とても温かく感じております。

また、こちらの平和を愛する慈悲深くて優しい雰囲気に感動しております。
まず、長崎のテレビや新聞に平和に関連する番組や記事がより多く出ているのに気がつきました。そして、週末だけではなく、平日でも「平和祈念像」や「平和の泉」などを見学する人がいつも多いです。特に、平和公園での中国語ボランティアの日本人の方がご案内の終わるところにおっしゃったお話は印象的で一生忘れません。それは、「今年、中国の南京へ行きましたよ。南京大虐殺記念館を見学しました。そして、7月7日は日本では七夕の日ですが、1937年の7月7日に日本は中国を侵略したことを忘れないようにしなければならないと思います。私は中国が大好きです。また行きます。」というお話です。それを聞いた私たち中国人はすごく感動して、「そうおっしゃっていただきありがとうございます。またぜひ中国へお越しください」と心から感謝しました。

 

平和公園

さらに長崎県国際交流協会の高田勇理事長にお目にかかって、そしていろいろとお話をすることができました。そのとき、自然に日中両国の関係に触れました。中日友好使者である高田理事長は、日中両国は必ず友好になりますとおっしゃっていました。私は88歳の高齢でお元気でいらっしゃる高田理事長の明るい笑顔に感動すると同時に、胸の中で「鶴は千年、亀は万年」というように高田理事長がいつでもご健康でいらっしゃることと日中友好が未来永劫続いていくことを祈りました。
高田理事長をはじめ長崎県の多くの関係者の方々のご努力とご尽力のおかげで中日両国が難しい局面にあった時にも長崎県と中国との友好交流が引き続き行われてきたわけです。日本において高田理事長のような方と長崎県のような存在が多ければ多いほど中日関係がもっと明るくなり、そして両国のWin-Winにつながるに違いありません。

 

以上が、一般人の中国人の私から見た日本の紹介でしたが、皆様いかがでしたでしょうか。もちろん、これはあくまでもわたし個人の経験・感想であり、すべての中国人の考え方を代表できないですが、私の知っているところでは、私と同じような考え方を持っている中国人が多いので、ご参考になればありがたいです。

 最後になりますが、ご家族やご友人の皆さんと楽しい新年をお迎えになられますよう心からお祈り申し上げます♪

 

 

 

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