長崎県

Vol. 133 米国 ウィリアム・モーガン


2017年11月13日更新

Hello everyone!
皆さん、こんにちは!はじめまして。英語圏国際交流員のウィリアム・モーガンと申します。ウィルと呼んでください^^よろしくお願いします。

今年の8月、長崎県文化観光国際部国際課に参りました。その前は2年間、五島列島の福江島の小中学校で外国語指導助手(ALT)を務めていました。子供たちに会えなくなったのがさびしいですが、国際交流員の仕事もとても面白いので幸せです。

 
アメリカのバージニア州が赤になっています
https://en.wikipedia.org/wiki/File:Map_of_USA_VA.svg

もともとの出身はアメリカのバージニア州です。バージニア州はアメリカの東海岸のワシントンDCのすぐ南にあります。その面積はおよそ11万平方キロメートルです。それは九州のほぼ3倍になります。しかし、バージニア州の人口は830万人です。それは九州の人口の3分の2しかありません。バージニア州は「大統領のお母さん」とも呼ばれています。なぜなら、アメリカの大統領の43人の中の8人がバージニア州生まれだからです。バージニア州は有名なスポーツチームも、大した都市もありませんが、歴史と文化の遺産がたくさんあります。今月のコラムは昔のバージニア州に住んでいた先住民のアメリカンインディアン(注)を紹介させていただきたいと思います。

1500年代の全体北アメリカ大陸に住んでいた原住民の人数がおよそ700万人から1000万人と言われています。部族が600ほどあったと推定されたのです。当時の日本の人口が1600万人くらいと言われています。アメリカの南東には農場を主にやっていたパワタン、チェロキー、クリークなどの部族が住んでいました。このコラムはパワタン部族に焦点をあてています。
 


パワタン部族の集落の描写
http://www.legendsofamerica.com/na-powhatan.html

皆さんはインディアン部族をもうご存知だと思いますが、昔のバージニア州にはさらに面白い政権体ができていました。「パワタン部族」よりも「パワタン連邦」のほうが当時の政治状態に合っています。パワタン連邦は約30個の部族が連盟した政治体でした。言葉はアルゴンクィン語族でした。1607年に(入植者がイギリスからやってきたとき)パワタン連邦の人口は約15万人でした。

 


 セナカマカの地域が黒い四角に囲まれています。
http://geology.com/state-map/maps/virginia-physical-map.gif

彼らはセナカマカという地域に住んでいました。それは約160平方キロメートルの面積がありました。セナカマカの言葉の意味は「人口密度が高い地域」です。上の写真はバージニア州の地図に黒い四角がセナカマカの地域の大体を囲んでいます。

 


 パワタン部族の一般的な男性の描写
http://chnm.gmu.edu/tah-loudoun/wp-content/lessons/wells/powhatan-warrior.jpg

パワタン部族の人の一般的な風貌は「背が高くて、まっすぐ」とジョン・スミスによって描写されています。考古学的な証拠によりますと平均の身長が約182センチでした。

男の人は腰巻を着ていました。パワタン連邦の人たちの腰巻は鹿の毛皮でした。男の髪の毛は長く伸びていて、ただ頭の右側の髪の毛だけをそり上げていました。なぜだと思いますか?ファッションのため?バージニア州は年中暑いから?実は、弓を使うときに髪の毛が弓弦に絡まないためでした。セナカマカからのアメリカンインディアンは大まかに上の絵画の人みたいだと思われます。

女の人は毛皮のスカートを着て、髪の毛を三つ編みの形にしていました。男の人も女の人も入れ墨は日常的に入れていました。入れ墨のデザインは花、果物、動物(たとえば蛇)などがありました。

 

 
カヌー!
http://www.virginiaplaces.org/nativeamerican/6_archai.html

カヌーはパワタン部族の欠かせない交通手段でした。そして、パワタン部族の男の人たちが作れる最も大きいものでした。カヌーは糸杉(サイプレス)の木で作られました。大きいカヌーは15メートルもありました。そんな大きさで40人も乗れるといわれます。一般のカヌーはそれより短かくて、10人とそれらの荷物を運べるぐらいの大きさでした。乗ってみたくありませんか?

 

 
パワタン部族のご馳走
http://www.historyisfun.org/jamestown-settlement/foods-and-feasts/attachment/foods-and-feasts-3/

パワタン部族の人たちの日常生活は農場の世話でとても忙しかったそうです。生活の糧を狩猟、魚釣り、そして野生植物を採取することなどによって補っていました。パワタン部族は農場の耕作する民族でした。主食はとうもろこしでした。そして豆、かぼちゃ、ひまわりの種、魚と貝類も食べました。鹿狩りは冬にやっていました。バージニア州の鹿は現在でもとても多いです。私はアメリカにいるときに、何匹かを自分の車でぶつけたことがあります。

皆さんはタバコを吸いますか?タバコの喫煙を始めたと言われているのがアメリカンインディアンなので、「はい」と答えた方は「ミーグエチ」を言ってみましょう(ミーグエチはアルゴンクィン語の「ありがとう」だそうです)。イギリスの入植者が来るはるか前からタバコをアメリカンインディアンは摂っていました。 タバコには色々な使い方がありますが、私にとって信仰的な使い方が一番面白いと思います。タバコの投与量がとても多ければ幻覚が起こることもあります。その起こる幻想を宗教的に解釈していたそうです。そして、吐く煙が自分の思いと祈りを天国まで運んでくれると信じていました。

アメリカ大陸の植民地時代がスペインとポルトガルの入植者によってカリブと中米の土地で始まりました。西洋人が来たときがアメリカ大陸で馬の初登場でした。彼らは「コンキスタドール」といいます。日本語にすると「征服者」です。スペインとポルトガルのコンキスタドールたちが中米の植民地支配を始めておよそ90年後、北アメリカ大陸のバージニア州にイギリス人がジェームズタウンを設立しました。3艘の船舶で104人のイギリス人がやってきました。

入植者は自分たちが先住民のアメリカンインディアンの上にいると思って、先住民の抗議をものともせずに自分たちの領土を広げようとしていました。当然、パワタン部族は自分たちがセナカマカの支配者と信じて、イギリス人の渡来を侵略として思っていました。お互いの考え方の違いはけんかへつながります。3つの戦争の後、アメリカンインディアンたちは入植者たちによって打ち負かされました。居留地に置かれて、300年間以上そのまま暮らしてきています。

現在もアメリカンインディアンの部族がバージニア州に住んでいます。居留地に住んで、自分たちの文化と文物を大切にし、保っています。私はバージニア州にある居留地に何回かに行ったことがあります。居留地が私の家に近かったので(日帰りでもできるくらいの距離)うれしく思っています。子供のときはアメリカンインディアンがとても面白いと思っていましたが大人になってからさらに興味深く思っています。皆さんにアメリカンインディアンの面白さを分かって頂けたでしょうか?私の初コラムを読んでいただきありがとうございました。

注:
アメリカ合衆国政府先住民問題局のウェイブサイト
(http://www.indianaffairs.gov/FAQs/index.htm)において、「アメリカインディアン(American Indian)」は、アメリカの原住民の総称として1970年代以降に一般的に呼ばれるようになった「ネイティブアメリカン(Native American)」の一部であると説明されています。
当コラムにおいては、1500年代のバージニア州をテーマにしており、読まれる皆さんのイメージが湧きやすいよう、アメリカの原住民を「アメリカインディアン」と呼称しております。

 

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