500年以上の歴史と伝統を受け継ぐ松原刃物。灼熱(しゃくねつ)の炎で赤々と熱せられた鉄は、まるで生き物。いつの時代も松原(まつばら)の職人たちは、この生き物と闘い、寄り添ってきた。そして生み出された見事な刃物の数々。連綿と受け継がれてきた伝統は、今も男たちの手によって守られていた。
大島トマト
不況を乗り越えるために生まれた奇跡のトマト

 大島トマトを作っているのは、大島造船所(おおしまぞうせんしょ)の社員である。
 昭和63年頃、造船業界は不況の真っ直中。大島造船所も例外ではなく、仕事は少なく人員が余った状態だった。そんな状況を打破し、面白い仕事をと選んだのが、この高糖度トマト栽培だったのである。
 それから23年、大島トマトはずっと造船マンたちの手によって作り続けられてきた。日の目を見たのは栽培を始めて10年ほどした頃。普通のトマトよりも甘くて美味しいトマトはテレビで紹介され、それと時を同じくするように大島大橋の完成、トマト狩りの客による口コミで一気にブレイク。認知度は上がり、今や「大島トマト」といえば、多くの人があの真っ赤でとんがった形を思い浮かべるまでになった。
 大島トマトはどんな所で作られているのか。なぜ、こんなにも甘いのか。その秘密を探ろうと大島へ向かった。

 

造船マンが守り続けてきた譲れない味

 大島造船所から車で3分ほど走ると、広大な敷地にいくつものビニールハウスが見えてきた。出迎えてくれたのは農産事業部長の矢野和明(やのかずあき)さん。さっそくビニールハウスの中を案内していただいた。
 ハウスの中では緑色のトマトが鈴なりに実をつけていた。「もう1ヶ月半も水をやってないんですよ」。この矢野さんの言葉が探していた答えだった。大島トマトは普通のトマトの10分の1しか水を与えない。シビアな環境で育てることでトマト自身が自己防衛本能を働かせ、甘みが凝縮するというわけだ。足下を見てみると、土は乾いてひび割れを起こしている。枯れた土を使うことで、トマトの原産地であるアンデス地方の気候に近づけているという。これもまた美味しさの秘密であった。
 技術の進歩は凄(すさ)まじい早さだ。それは農業であっても同じこと。トマトも23年前とは比べものにならないほど品種改良が進んでいるという。その結果、栽培しやすく安定した収量が望める、日持ちの良い品種が市場に出回るようになった。しかし大島トマトの品種は23年前と変わっていない。
 大島トマトは本来、普通に育てれば大玉になる品種を使用している。そのため水を少しでも多く与えると、実は大きくなり糖度は下がる。「同じハウスで同じ日に植えて、同じように水をやっても同じ樹はできない」。矢野さんは栽培の難しさをこう語る。しかも収量は普通のトマトの5分の1。それほど栽培が難しくても品種を変えないのは、味や食感を優先したいからである。「守るべきものと、進化させなくてはいけないもの、両方を大事にしています」と矢野さん。収穫されたトマトはすべて糖度計にかけられ、厳しい基準を満たしたものだけが大島トマトとの称号を与えられる。

    

現在、大島トマトは年間100トンが生産され、県内の直売所や福岡のデパート、東京や大阪の百貨店で販売されている。また島には、毎年6千〜8千人もの人がトマト狩りに訪れるという。昨年の秋に植えられたトマトは5月末まで収穫が行われる。冬の終わりの3月が一番美味しいという。大島トマトの旬が始まる。

ヘタ周辺の緑が濃いほど糖度が高い

矢野和明さん

問い合わせ先
大島造船所農産事業部 西海市大島町830 TEL.0959-34-3990

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