上五島で暮らすということ。

 翌日、宿のすぐそばにIターンの先駆者ともいうべき人がいると聞き、訪ねた。横浜生まれの小野敬(おのたかし)さんが上五島に移住したのは今から14年前。当時は「Iターン」という言葉すらなかった。
 大学時代に一人旅や山登りに目覚めた小野さんは、卒業後、1度は就職したものの1年で退職。自給自足の暮らしを夢見て、国内外へ定住地を探し求める旅に出た。そんなとき九州の旅の途中で縁あって立ち寄った上五島で、小野さんは地元で製塩業を営む人と出会う。その方に若い働き手が欲しいと言われ、移住を即決。これが25歳のときのことだ。
 小野さんの1日はとにかく忙しい。敷地内を案内していただくと、そのことがよく分かる。まず見せていただいたのは塩作りの作業場。まろやかな味を追求するため、ステンレスではなく、昔ながらの鉄釜(がま)が並んでいる。小野さんはこの場所で元旦以外は毎日塩づくりに励み、年間約4トンの塩を作っているという。
 塩だけではない。敷地内で作られているものを列挙してみる。米、野菜、卵(養鶏)、大豆、味噌(みそ)、醤油(しょうゆ)、梅干し、椿油、イノシシの肉を使った燻製(くんせい)品などなど……。軒先にはお茶用にドクダミまでもが干してあった。
「手塩(てしお)」と名付けられた塩は、現在2ヶ月待ちという人気商品。販路(はんろ)は自身で切り開いた。年に3回新聞を作り、知り合いに送付することから始めた商品告知。これがクチコミで広がり、今や全国に700人の顧客がいる。
 島に来た当初、この場所は8年間廃村だった。小野さんは誰もいない場所で木々に埋もれるように建っていたあばら屋を見つけ、たった1人で住み始めた。荒れ地を切り開き、湧(わ)き水を引き、田んぼも畑も製塩所もすべて自分の手で1から作り上げた。ゼロから始めた塩づくりを軌道にのせ、島で出会った千鶴(ちづる)さんと結婚してからは新居まで造ってしまった。小野さんはこう語る。「この島には宝物がいっぱいあります。でも、それらを磨く能力があるかどうかが勝負。やる気さえあればやりたいことが何でもできる。そのことをこの島が教えてくれました」。

手塩(てしお)

小野敬さん

くらしの学校えん

自然とともに、家族とともに、生きる。

 小野さんの家には「くらしの学校えん」という手書きの看板が立っている。12年前から小中学生を対象にキャンプを主催しているのだ。春、夏、秋と年に3回開催している「しまキャンプ」には毎年、多くの子どもたちが参加する。キャンプといっても整った施設はひとつもない。子どもたちはありのままの自然の中で本当の田舎暮らしを体験する。
 敷地内には「地球46億年のトレイル(小道)」という看板も。これは1メートルを1千万年と見立て、それぞれの地点に札を立て、宇宙の大きさや地球に生命が誕生した奇跡と神秘を感じてもらおうという試み。例えばスタート地点には「1月1日 46億年前 太陽と地球が生まれる」という立て札、そこから10メートル先の地点には「1月8日 45億年前 月ができる」という立て札があり、46億年を1年と換算した場合の現在地の月日を表示している。460メートルの散歩道を歩けば地球の歴史が分かる仕組みだ。そしてゴールのほんの少し手間に「人類誕生」の立て札。小野さんは「ほんの短い時間に人類が地球の環境を破壊しようとしていることに気付いてほしい」と話す。
 小野家にはテレビも携帯電話もエアコンもない。5歳になる息子の太志(たいし)くんが「テレビはおばあちゃんちで2回見たことがあるよ!」と自慢げに話す姿はとても新鮮だ。太志くんが自然を相手にのびのびと遊んでいるのを見ていると、この場所が子育てには最高の環境だということが分かる。
 最後に夢を尋ねると、小野さんは頭を掻(か)きながらこう言った。「馬鹿だって思われるかもしれないんですが、僕はこの場所を観光地にしたいんです」。小野さんが目指すのはお金とごみを落とす観光地ではなく、お金を遣わず、ごみを拾って帰るような環境教育の実践の場としての観光地。最新号の家族新聞の締めくくりにはこう書いてある。「子どもに何を残したいか。100年後の日本人に、何を残すべきか。その答えは『情報』の中ではなく、自然や歴史や心の中に、すでにあるはずです」。
 小野家の風鈴が風に揺れてリンと鳴った。短冊(たんざく)には「たいせつなこころ」と書かれた文字。上五島という宝島で出会ったすべてがこの言葉に凝縮されていた。

大切なものは、すべてここに。

 

くらしの学校えん
南松浦郡新上五島町小串郷37 TEL:0959-55-2707
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