ふるさと再発見 第15回
上五島という名の宝島へ。

 長崎県の最西端に浮かぶ五島列島(ごとうれっとう)。その北部に位置する新上五島町(しんかみごとうちょう)は、中通島(なかどおりじま)や若松島(わかまつじま)など7つの有人島と60の無人島が連なる美しい町である。この土地に魅せられて、移住を決めた人も多い。
 観光客も毎年数多く訪れる。その大きな目的の1つが教会堂めぐり。新上五島町には現在29の教会堂があるが、その多くが250年にも及ぶキリシタン禁教令下で信仰を守り続けた信徒の子孫たちの奉仕によって建てられた。
 海と山に囲まれた穏やかなこの島で繰り広げられた凄(すさ)まじいまでの迫害の歴史。そして信徒たちの強い信仰心は、今も多くの人々の心を揺さぶり続けている。
 島に降り立ち、まず向かったのは「頭ヶ島(かしらがしま)天主堂」。世界遺産暫定リストに記載された「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する教会堂のひとつである。

頭ヶ島天主堂

信徒たちはこの教会堂にすべてを捧げた。

 頭ヶ島天主堂は大正8(1919)年に建てられた日本でも珍しい石造りの教会堂である。五島の教会群は信徒たちが私財を投じて建てたものだけに、その苦労はどれも想像を絶するものがある。頭ヶ島天主堂でも資金の調達は厳しく、約10年もの歳月をかけて建てられた。信徒たちは夜は漁に出て、昼は教会建設に奉仕した。1日に1つか2つの石を積むのがやっとだったという。
 江戸時代末期まで無人島だった頭ヶ島に鯛ノ浦(たいのうら)から迫害を逃れた信徒たちが住み着いたのは安政6(1859)年のこと。その後、上五島のキリシタン指導者であったドミンゴ森松次郎(もりまつじろう)が長崎の大浦天主堂の宣教師から教えを受けて島に戻り、この場所に家を建てた。その家が仮聖堂となり、青年伝道士養成所になったという。教会堂を案内してくれた「上五島ふるさとガイドの会」の大﨑五月(おおさきさつき)さんは「松次郎さんが家を建てたこの場所に、信徒たちは1つ1つ人力で石を積み上げて教会を建てました。まさにこの場所で頭ヶ島のキリシタンの歴史が展開されてきたのです」と話す。
 それにしても、なぜ大変な思いをしてまで教会堂を石で造る必要があったのだろうか。建造に使われた石は頭ヶ島もしくは目の前のロクロ島から切り出された砂岩であると推察されている。江戸時代末期、頭ヶ島対岸の崎浦(さきうら)地区には多くの石工たちがおり、地元の砂岩を採石、加工、販売していた。崎浦地区には今でも石畳や石塀、石垣など、いたるところに砂岩があふれている。長崎を代表する観光名所オランダ坂やグラバー園に使われている石が頭ヶ島から運ばれたという事実からも、この地でいかに石材業が盛んに行われていたかをうかがい知ることができる。
 砂岩があり、多くの石工がいる環境があったからこそ、教会は石で造られたのだろう。しかし、大﨑さんはこうも推察する。「頭ヶ島天主堂は、教会建築に造詣(ぞうけい)の深い大崎神父という立派な指導者の指示のもとに造られました。聖書には『私(キリスト)はこの岩の上に私の教会を建てよう』という言葉があります。砂ではなく、頑丈な岩の上に建てた教会は倒れません。私はこの岩という言葉から石を連想します。大崎神父の心にもこの聖書の言葉があったのかもしれません」。
 教会堂が建てられた当時は約350人いた信徒も現在は14、5人だという。先祖が弾圧から身を守るためにたどり着いた島にもやがて電気や水道が引かれ、現金収入が必要となる時代を迎えると、1人また1人と島を離れざるを得なくなった。しかし信徒たちの信仰は当時と変わらぬ強さでここにある。石造りの教会堂がそれを語っていた。

ノミで削った跡

頭ヶ島天主堂外観

 

島の陶芸家はまっすぐな瞳でこう語った。

 頭ヶ島教会堂の目の前に「白浜窯(しらはまがま)」と掲げられたアトリエを見つけた。穏やかな笑顔で出迎えてくれたのは、安藤豊(あんどうゆたか)さん。6年前に香川県からこの地に移住し、陶芸をしながら暮らしているという。アトリエには存在感のある作品がセンス良く並んでいた。
  安藤さんが移住を決めたきっかけは、Iターンツアー。教会と海と山がある頭ヶ島を訪れたとき、これ以上の場所はないと思い、他の場所は見なかったというくらいに気に入った。教会の目の前に空き家があったのも幸運だった。この場所に導かれるようにしてやってきた安藤さん。移り住んだ2年後には「訪れた人たちの癒(いや)しの場になるように」との願いを込めて、このアトリエを新築。現在の暮らしが始まった。
 大胆さと繊細さを感じさせる作品には、同じ人が作ったとは思えないほど様々な趣(おもむき)がある。共通しているのは作品から醸(かも)し出される気品のようなもの。「ここに移り住んでから、焼きも形もできるだけ素朴さにこだわるようにしています。良い焼き、良い形を目指すのではなく、『完成したものがよかった』というようにすべてを受け入れたいと思うんです」。作品の中には地元の土や五島椿の釉薬(ゆうやく)を使ったもの、目の前の浜で拾ってきた流木と組み合わせたものなどもあり、見る人を楽しませてくれる。
 ギャラリーの2階の窓からは頭ヶ島天主堂が望め、気持ちのいい風が吹き抜ける。室内には安藤さんが大切にしている「一期一会」の書が立てかけられていた。地元の人にとっては見慣れた風景でしかない海や山も、一刻一刻と表情を変えている。毎日見ている景色も実は一期一会——それは、他の土地からやってきた人ならではの感覚だ。
 静かな情熱を胸に焼きものと向き合う日々。安藤さんはこうも語った。「移住してきた当初は島の暮らしがただただ楽しいだけでした。しかし、しばらく暮らしているうちに、この土地に調和するためにも自分を磨いていきたいと思うようになりました」。
 島にふさわしい人間になりたい。その願いは、まるで敬虔(けいけん)な信徒のようであった。
*Iターン:都会で生まれ育った人が地方へ就職、移住すること。

どんな質問にも真剣に答えてくださった安藤さん。

白浜窯
南松浦郡新上五島町友住郷623-1 TEL:0959-42-8840
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