想いを伝え続けていくまち 平戸
硯
雛道具

 これは、今から200年以上前、1人の姫が松浦(まつら)家に嫁(とつ)ぐ際に持参した雛(ひな)道具である。文机(ふみづくえ)に置かれた硯(すずり)箱がマッチ箱くらいの大きさだといえば、その精巧さがお分かりいただけるだろうか。金の蒔絵(まきえ)で施された美しい松竹梅、全ページに渡って歌と絵が書かれた百人一首…。専門家でさえ目を見張るという精密さは、江戸の一流職人の技の結晶である。
 九州の西の端に位置する平戸(ひらど)市。市内の中心街にある松浦史料博物館(まつらしりょうはくぶつかん)では、毎年雛祭りの季節になると、雛人形をはじめ化粧道具や遊戯具など約100点にものぼる雛道具を展示している。どれも大切に守られてきたことが一目でわかるものばかりだ。
 守りたい。そして、伝えたい——。そんな人々の想いが積み重なって、今日の平戸はあるのかもしれない。

お殿様が愛した庭園が1枚の絵の中で咲き誇る。

文政七年花畑絵図(松浦史料博物館所蔵)

 江戸時代、平戸島をはじめとして、現在の佐世保(させぼ)市から北松浦(きたまつうら)半島、壱岐(いき)市、五島(ごとう)列島の一部を含む広大な地域を治めていた松浦家。その歴史をたどれば、平安時代までさかのぼり、鎌倉時代には蒙古襲来時にも活躍したという。
 平戸が最も繁栄を極めたのは、今から400年ほど前。東アジアにおける貿易拠点として平戸オランダ商館が建てられ、海外との交流が盛んに行われていた頃である。当時の平戸は「西の都フィランド」と呼ばれ、世界へつながる窓口であった。
 平戸の歴史を知りたいと、松浦史料博物館を訪れた。風格ある建物は明治26年に建てられた松浦家の私邸で、県の有形文化財にも指定されている。館内には豊臣秀吉(とよとみひでよし)が発令したキリシタン禁制定書や、伊能忠敬(いのうただたか)が松浦家に納めた平戸藩領の地図など、貴重な品々が展示されている。驚くのは、そのほぼすべてが本物であるということだ。
 不定期で入れ替わるという展示品は約300点ほどだが、収蔵資料は約3万点余り。これだけの資料が残っているのは全国でも大変珍しいそうで、「後世に伝えたい」という松浦家代々の藩主の想いの強さが伺える。江戸時代から今でいう防腐剤のようなものを使用していたらしく、保存状態もかなり良い。また資料も科学技術、天文学、国文学など、多岐に渡っており、様々な分野の専門家が訪れ、感嘆していくというのにも頷けた。
 特にその中でも興味をひくのは、藩主専用の庭園が描かれた「文政七年花畑絵図(はなばたけえず)」。今から約190年前、平戸城下には美しい庭園が広がっていた。春になれば、藩主は池の周りを散策し、桜を愛でたのだろうか。右下に描かれた西洋風の花壇は出島の影響を受けたともいわれており、その和洋折衷ぶりはいかにも平戸らしい。
 学芸員の久家孝史(くがたかし)さんは、松浦家の魅力をこう語る。「松浦家は日本の伝統文化を大切にしながら海外に目を向けました。それは確固たる自分を持ちながら、相手を知ろうとする、本物の国際交流の在り方。松浦家は超ローカルで、超グローバルな家なんですよ」。
 展示品からは、まるで歴代藩主たちやその家臣たちの息づかいが聞こえてくるようだった。

松浦史料博物館
平戸市鏡川町12 TEL:0950-22-2236
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