心あったか松浦の旅
松浦鉄道
時間がゆっくり流れるまち

 北松浦(きたまつうら)半島の北西部に位置する松浦市。このまちに暮らす人たちの足となっているのが松浦鉄道。通称MRで親しまれ、学生やお年寄りたちに混じって列車でゴトゴト揺られると、地元気分を味わえる。緑の壁を抜けたかと思うと、突然目の前に海が現れる。そうしてまた生い茂った木々が迫ってくる。山、海、山、海…の繰り返しの風景。車両では“小さな再会”を見ることができる。「今日はどこの帰りですか?」「元気しとったですか?」
 このまちでは時間がゆっくりと流れている。お目当ての駅はもうすぐだ。

今福神社には松浦の歴史を愛する人がいた。

今福神社の早田伸次さん

 今福(いまぶく)駅に降り立った。この地域には、まだあまり知られていない松浦の歴史が眠っているという。
 松浦は「松浦党(まつらとう)発祥の地」である。延久元年(1069)、嵯峨(さが)天皇の子孫にあたる源久(みなもとのひさし)は、朝廷より宇野御厨検校(うのみくりやけんぎょう)(長官)に任ぜられると、今福(いまふく)町に梶谷城(かじやじょう)を築き、松浦姓を名乗った。松浦党は船を自在にあやつり、源平合戦や蒙古襲来(もうこしゅうらい)の際には水軍として活躍し、多くの伝説を残している。その勢力は、松浦(まつうら)、唐津(からつ)、有田(ありた)、伊万里(いまり)一帯をはじめ、平戸(ひらど)や佐世保(させぼ)、さらに五島(ごとう)、壱岐(いき)まで及んだという。
 まずは、松浦党初代である久公がこの地に上陸し、最初に陣屋を開いたという今福(いまふく)神社へ向かった。禰宜(ねぎ)を務める早田伸次(そうだしんじ)さんは、20年近くも松浦の歴史を研究しているらしく、「松浦党の魅力は、松浦宗家の血が絶えることなく、今もその歴史が続いていること」だと教えてくれた。
 神社の紋幕には左右異なる紋が入っている。気になったので尋ねてみると、「松浦家の家紋の由来にはいろいろな説があるのですが、その1つに、久公がこの場所に陣屋を開いた際、地元の人たちが梶の葉に餅を3つ載せて歓待したそうです。久公はそのもてなしに大変感激し、松浦家の家紋を梶の葉と三ツ星にしたという話があります。私はこのエピソードが大好きなんですよ。まさにこの境内で久公は地元の人たちのもてなしを受けたのです」。
 早田さんのお話を聞いていると、初老の男性が笑顔で境内に入ってきた。「あの方が私の師匠なんですよ」と早田さん。松浦の歴史のエキスパート、松浦市史談会副会長を務める磯本保(いそもとたもつ)さんである。磯本さんに1つ質問をすると、「その話は長くなりますねぇ」と嬉しそうに笑いながら丁寧に答えてくださる。「一」を聞くと、「百」の答えが戻ってくる、まさに松浦の生き字引である。「松浦党の歴史はまだよく知られていないことが多いため、観光地化されていないのですが、松浦には、梶谷城や松浦宗家の墓がある旧宛陵寺(きゅうえんりょうじ)跡など、当時を物語る歴史遺産が残っています。それを多くの人に知ってほしいですね」と磯本さんは語る。地元の人に松浦宗家の歴史を知ってもらうことで、自分たちが生まれた町に誇りをもってもらうこと。これが早田さんと磯本さんの共通の願いである。冬の柔らかな陽射しがさし込む中、お二人の歴史談義はいつまでも続いていた。

松浦の歴史に思いを馳せる

磯本保さん

今福神社
松浦市今福町東免68 TEL.0956-74-0722
ここまでがこのページの情報です。