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旧円融寺庭園の月の池に映る桜
歴史を感じる町で春を愛でる

 美しい季節がやってきた。やわらかに降り注ぐ陽光と、頬(ほお)をなでる優しい風。色とりどりの花々に出会えば、空気までもが煌(きら)めいているよう。全身で生命の息吹を感じる春である。
 長崎県の空の玄関口、大村。広々とした開放感を感じるこの町は、とにかく春が美しい。城下町を歩けば、当時の人々も聴いたであろう鳥のさえずりが耳を楽しませ、高台へ上れば、今が旬の美味たちが出迎えてくれる。

 大村地域は中世から江戸時代を経て明治維新に至るまで、絶えることなく大村氏によって治められてきた土地である。これほど長きにわたり一大名が同じ領地を治めてきた例は珍しい。その拠点は大村館(おおむらやかた)、三城城(さんじょうじょう)と移り変わり、1599年には初代藩主となる大村喜前(おおむらよしあき)が三方を海に囲まれた地に玖島城(くしまじょう)を築いた。今回の旅は、このとき形成された城下町から始まる。

いつもは車で通る町も歩けば新たな歴史に出会う

 花の名所として知られる大村公園で待ち合わせをした。大村生まれの福田正三郎(ふくだしょうざぶろう)さんは「毎日1時間ウォーキングするんですよ」と語る元気いっぱいのガイドさん。御年(おんとし)80歳である。
 福田さんがまず案内してくれたのは、城下町の中でも最も好きだという「小姓小路(こしょうこうじ)武家屋敷通り」。地割りが昔のままだと聞いて驚いた。狭い道路に囲まれて暮らす私は、大村の広い道路を見るたびに羨(うらや)ましく思っていたが、それは江戸時代から受け継がれてきたものだったのである。小姓だけが暮らす場所にも関わらず道幅は広く、どことなくのんびりとした空気が流れており、この風景からも彼らがいかに藩主に大事にされていたかがうかがわれる。
 次に向かったのは「旧円融寺庭園(きゅうえんゆうじていえん)」。日の池、月の池と名付けられた風流な池の間を歩き、真っ直ぐにのびた階段を上ると、枯山水(かれさんすい)の石庭が広がっていた。400個以上の石を組み合わせて造られた庭園は江戸初期の様式で、大変珍しいものだという。円融寺は明治維新に廃寺となり、戊辰(ぼしん)戦争の戦死者が祀(まつ)られたのち、招魂社(しょうこんしゃ)と改称。大戦後は護国神社と改められ、現在に至っている。庭園内には明治維新で活躍した大村藩士たちの石碑も並んでいた。その名を変えながらも、この地ではずっと先人たちを弔ってきたのだ。「ここは、自然の中で人の心を癒(いや)すために造られた禅宗の庭園なんですよ」という福田さんの言葉が心に染みた。

 旧円融寺庭園のすぐそばには、大村ならではの五色塀(ごしきべい)がある。大村湾をはじめ、方々の海から運んできたという海石を漆喰(しっくい)で固めた塀は、まるで現代アートのよう。当時の人々のセンスに脱帽だ。

ガイドの福田正三郎さん

五色塀

旧円融寺庭園の枯山水の石庭

 鶴亀橋というおめでたい名前の橋を渡り進んでいくと、何やら香ばしい匂いが漂ってきた。店先にいたご主人が「ゆでピーナツ」だと教えてくれる。地元の人々が「ゆでピー」と愛してやまない大村名物である。庶民の家庭の味であったゆでピーを浦川豆店(うらかわまめてん)の先代が商品化したらしく、今でも大村市内で店を構えているのは一軒だけ。大村の人々が愛しているのはこの店の味なのである。昔ながらの平釜(ひらがま)で殻ごと2時間半茹(ゆ)で上げ、一つ一つ手作業で選別。塩加減も絶妙である。ゆでピーは量り売り。「大粒と小粒、どちらにしますか?」と聞かれて唸(うな)った。なんと長崎産の小粒と、熊本産の大粒があるという。試食して気に入った小粒をいただいた。

 「今夜はゆでピーがあるけん、焼酎が進むばいね」と福田さん。さすが、生粋(きっすい)の大村人である。

この平釜で1日60kg茹で上げる

店主の寺西修さんは二代目

浦川豆店 大村市西本町478-11 TEL 0957-52-2432
大村寿司
 城下町散策の途中でいただきたい「大村寿司」。500年以上も郷土料理として親しまれてきた押し寿司は上品な色合いで、ほんのり甘い味付けが美味。写真は大村公園内にある老舗の料亭梅ヶ枝荘(うめがえそう)のもの。
梅が枝荘 大村市玖島1-36 TEL.0957-52-3523
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