モダンなムラを旅する
雪浦
自然とともに生きる雪浦の暮らし

 雪浦(ゆきのうら)で生まれ、雪浦で育ち、雪浦に魅せられた人がいる。林吉行(はやしよしゆき)さん68歳。約40年前に地元の歴史に興味を抱いて以来、そのふるさとを愛する情熱は今も薄れてはいない。昨年4月から大瀬戸(おおせと)町歴史民俗資料館の職員となり、8月からは築110年の自宅で民泊体験の受け入れも始めた。民泊でいただけるのは、林さんが合鴨(あいがも)農法で作った米と自家栽培の新鮮な野菜を使った手料理。もちろん、米も野菜も無農薬である。
 雪浦といえば、毎年5月に行われる「雪浦ウィーク」。地図を片手に工房やアトリエ、商店を巡りながら自然豊かな暮らしや、そこで生まれたものに触れる、今年で13回目を迎えるイベントである。まるで友人の家に遊びに行くような感覚でそれぞれの店舗や家に上がり、地元の人との会話を楽しむ。町おこしのお手本ともなっているこの雪浦ウィークは年々大きく成長し、平成21年度には長崎県地域文化章を受章している。
 林さんも立役者の1人だ。実行委員を務めながら、イベント当日は子どもたちに火おこしや勾玉(まがたま)作りを教えている。昨年はまち歩きをより楽しんでもらおうと、林さんが中心となって、まち中の通り名も決定。それぞれ「十善寺(じゅうぜんじ)通り」「清水(しみず)通り」などとプレートが掲げられ、通りに命が吹き込まれた。
 雪浦にはどうしてこんなにも人が集まるのだろう。何がそんなにも心を惹きつけるのだろう。今回は林さんに案内していただきながら雪浦を旅する。

歩いて3分の距離に画家がいて、おいしい味噌がある

 林さんがまず案内してくれたのは、14年前に熊本から雪浦に引っ越してきたという画家のタナカタケシさんのお宅。雪浦ウィークは、引っ越してきたばかりのタナカさんが2人の陶芸家と開いた小さな展覧会が始まりだという。このとき連日のように足を運んでくれたのが地元の人たちだった。そしてざっくばらんな夜ごとの宴会で持ち上がったのが「もっと何かできないか」ということ。その2年後の平成11年、雪浦ウィークが初めて開催された。今では「自分も参加したい」と店舗数は当時の3倍以上に増え、観光客も1万人を超えるほどの賑わいを見せている。
 タナカさんは引っ越してきた当初、こんな田舎にいて多くの人に作品を見てもらうことができるか不安だったという。しかし雪浦ウィークを開催してからというもの、遠くから足を運んでくれる人は後を絶たない。優しい絵に触れ、囲炉裏(いろり)を囲み、タナカさんと言葉を交わす。そこには、街中のビルで開かれる展覧会とはひと味違った空気が流れていたのである。
 タナカさんは雪浦ウィークの成功をどのように捉えているのだろう。「雪浦ウィークは、私たちよそ者が始めたイベントです。現在、実行委員のメンバーの半分は地元の人ですが、これから若い人にもどんどん参加してもらって『本物の地域全体のイベント』になればいいと思います」。

自宅兼アトリエは築112年の古民家

画家のタナカタケシさん

 次に訪れたのは、雪浦ウィークでも大人気のお店「川添酢造(かわぞえすぞう)」。約130年前から続く老舗である。家族6人で作る玄米酢や味噌(みそ)の美味(おい)しさは口コミで広がり、全国から注文がくるという。川添酢造では水と原料にこだわり、工場全体に25トンの活性炭を埋め込んで磁場を高めるなど、様々な工夫を凝らしている。しかし美味しい理由はそれだけではない。味噌を熟成させる樽(たる)には「おいしくなってね。ありがとう」と慈しむように書かれた紙が貼られており、酢を熟成させる部屋では、夜になるとモーツァルトの曲が流れるという。仕事中のケンカは御法度(ごはっと)。笑顔でなければ美味しいものはできないからだ。家族が共有し、大切に守っているものづくりへの想い。美味しさの秘密は、家長である成行(しげゆき)さんの「大事にしているのは波動です」という言葉に込められていた。

家族で伝統を守り続ける川添酢造のみなさん

酢は4ヶ月もの時間をかけて熟成

昔ながらの製法が受け継がれている

橋の向こうには夢を見つけた若者が住む

桑迫賢太郎さん宅

桑迫賢太郎さん

 

 雪川橋(ゆきかわばし)を渡ったところに面白い若者が住んでいると聞き、訪ねてみた。笑顔で迎えてくれたのは桑迫賢太郎(くわざこけんたろう)さん。8年前からこの場所に住み、画家を目指しながら農業を営んでいるという。築40年の家にはとにかくモノがない。エアコン、電子レンジはもちろん、テレビ、パソコン、携帯電話すら見あたらない。電気、水道は引いているものの、4年前からは完全に薪(まき)生活。それでも彼は楽しそうだ。
 この暮らしを選ぶ理由は大学時代にあった。環境科学を専攻していた桑迫さんは、大学在学中に一時休学してカンボジアに滞在したことがある。そこでぶつかったのが都市と農村の問題だった。田舎での生活がままならない人々が都会に出てきて、貧困にあえいでいる。一方日本では、都市に住む人々の消費生活によって様々な環境問題が起きている。多くの人が田舎で暮らすことができれば、都市から田舎へと人の流れが変わったら、世界は変わるかもしれない。そう考えた彼は自ら田舎で生きることを決めた。そんな時、人の縁で紹介してもらったのが雪浦の空き家だった。
 桑迫さんの1日はとてもシンプルだ。午前中は畑に出る。午後からゆっくりと自分の時間を過ごし、夜は地元の子どもたちに数学と英語を教える。この生活を手に入れるのは簡単ではなかった。自然農による自給自足を目指す彼にとって、一定量の野菜を作ることは困難の連続。独学で無農薬の野菜や米を作るのに7年もかかった。
 しかし、自給自足の生活だけが彼の夢ではない。雪浦で農業を始めて1年ほど経った頃、「何かが足りない」と感じていた桑迫さんは、昔から好きだった絵を描くことで心が満たされるのを実感した。「これだ」と思ったという。「今は絵を描くために畑に出ています」。
 桑迫さんは雪浦には面白い大人が多いという。「みんな、よそ者を受け入れてくれるんです。それでいて放っておいてくれる。その距離感が心地いいんです。ここは自分のやりたいことができるフィールドですね」。過疎化が進む今、若者が魅力を感じるのはやはり人である。桑迫さんは最後にこう話してくれた。「地元の人が地元を愛している。雪浦の魅力はそれに尽きると思います」。
 雪浦は時代が交差している。5千年前の縄文時代の遺跡があるかと思えば、家々が並ぶ路地には江戸時代の石垣がそのまま残っている。山があり、海があり、川があるこの場所では、時代を超えて人々が営みを繰り返してきたのである。

 今年も5月がやってくる。林さんはお客さんにいつもこう話しかけるという。「買わんでもよかけん、しゃべっていかんね」。  

あたらしいうたをうたいながら
KENTARO

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