まだ見ぬ五島へ 久賀島 奈留島
浜脇教会堂
祈りの島で暮らす人々に出会う旅

 五島列島のほぼ中央に浮かぶ久賀島(ひさかじま)と奈留島(なるしま)。久賀島は五島列島の中でも3番目に大きな島でありながら、人口はわずか450人。かつて厳しいキリシタン迫害が行われ、五島で弾圧が始まった地としての歴史を持つ島である。
 久賀島の隣に位置する奈留島は複雑な地形で手つかずの自然が残る島。昔から漁場に恵まれ、約3000人の島民のほとんどが漁業に携わる暮らしを営んでいる。
 久賀島には旧五輪(きゅうごりん)教会堂、奈留島には江上(えがみ)天主堂。どちらの島にもユネスコの世界遺産暫定リストに登録されている「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産候補の教会堂があり、毎年多くの人々が巡礼に訪れる。
 今回は五島列島の中でも上陸する機会の少ない、知られざる2つの島の魅力に迫る。

それは、わずか140年前のことだった。

 福江(ふくえ)港から高速船で20分。田ノ浦(たのうら)港に降り立ち、まず向かったのは船の中から見えた真っ白な浜脇(はまわき)教会堂。五島初の鉄筋コンクリート造りのこの教会堂は、明治14年に建立された最初の教会堂の老朽化に伴い、昭和6年に建て替えられたもの。それまで木造の小さな教会堂で祈りを捧げてきた信徒たちにとって、頑丈で大きな造りの教会堂はゆるぎない信仰の証(あかし)だったに違いない。
 旧浜脇教会堂は「五輪(ごりん)の地に教会を」という信徒たちのたっての希望で五輪地区へと移された。昭和60年まで現役だった教会堂は旧五輪教会堂として今も大切に保存されている。
 車が通れない細い山道を下り海沿いを歩いていくと、3、4軒の民家と共に旧五輪教会堂が見えてきた。木板に書かれた「天主堂」の文字は、長い年月を経たせいで消えかかってはいるものの、中に一歩足を踏み入れると微笑みをたたえたキリストの姿があった。現存する木造最古の教会堂は損傷が激しい。しかし、傷んだ木の柱や床に信徒たちの祈りが刻まれているような気がした。
 最後に訪れたのは牢屋(ろうや)の窄(さこ)殉教記念聖堂。明治元年、捕らえられた久賀島の信徒たちが残酷な責め苦を受けた場所である。それは、6坪ほどの牢屋に200名の信徒たちが押し込められ、8ヶ月もの間、排泄さえもその場で行わなければならなかったという想像を絶する悲惨な弾圧だった。この迫害で殉教したのは42名。牢屋のあった場所には現在教会堂が建設され、毎年秋に殉教祭が行われている。

牢屋の窄殉教記念聖堂

旧五輪教会堂

 教会堂のすぐそばで花壇を耕している女性に出会った。聞けば、彼女の曾祖父(そうそふ)もこのとき捕らえられた1人だという。
「まだ6歳だった曾祖父は自分の両親の墓参りをしたいと、やっとの思いで牢屋の隙間から抜け出したそうですが、逃げ出したことがわかるとさらにひどい責め苦を受けると思ったのか、また牢屋に戻ったそうです」。
 凄まじい迫害があったとは思えない、あまりにも静かな場所。目の前には牢屋に入った子どもたちが大雪の日にさらされたという久賀湾の夕日、その奥には殉教者たちも見ていた山々がそびえている。女性が植えていたのは金魚草。それは信仰の灯(ともしび)のようにふっくらとした蕾(つぼみ)をつけていた。

ガイドさん

金魚草

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