明治日本の産業革命遺産
めいじにほんのさんぎょうかくめいいさん

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長崎の世界文化遺産
ながさきのせかいぶんかいさん

平成27年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として、世界文化遺産に登録された資産です。
旧グラバー住宅 旧グラバー住宅
きゅうぐらばーじゅうたく
国指定重要文化財(くにしていじゅうようぶんかざい) 長崎市南山手町(ながさきしみなみやまてまち) 1863年(ねん)
江戸末期(えどまっき) 建設(けんせつ)
スコットランド(イギリス)から日本(にほん)に来(き)た、トーマス・グラバーは、江戸末期(えどまっき)から明治時代(めいじじだい)にかけて活躍(かつやく)した人物です。高島炭坑(たかしまたんこう)や小菅修船場(こすげしゅうせんば)の建設(けんせつ)にも協力(きょうりょく)しました。日本(にほん)と西洋(せいよう)の文化(ぶんか)の交流(こうりゅう)の場(ば)となっていたのが、この旧(きゅう)グラバー住宅(じゅうたく)です。
高島炭坑 高島炭坑
たかしまたんこう

(北渓井坑跡)
ほっけいせいこうあと
国指定史跡(くにしていしせき) 長崎市高島町(ながさきしたかしまちょう) 1869年(年)
明治2年(めいじ2ねん) 開坑(かいこう)
日本(にほん)の炭坑(たんこう)で初(はじ)めて、蒸気(じょうき)の力(ちから)で動(うご)く、西洋(せいよう)の機械(きかい)が導入(どうにゅう)されました。写真(しゃしん)は、当時(とうじ)、石炭(せきたん)を運(はこ)び出(だ)していた穴(あな)の(跡)です。
端島炭坑 端島炭坑
はしまたんこう

通称「軍艦島」
つうしょう ぐんかんじま
国指定史跡(くにしていしせき) 長崎市高島町(ながさしたかしまちょう) 1890年(ねん)
明治23年(めいじ23ねん) 本格的(ほんかくてき)に操業開始(そうぎょうかいし)
当時(とうじ)、重要(じゅうよう)なエネルギー資源(しげん)だった石炭(せきたん)を掘(ほ)るため、電気機械(でんききかい)を取(と)り入(い)れるなど、高島炭坑(たかしまたんこう)の技術(ぎじゅつ)をさらに発展(はってん)させ、海底(かいてい)の深(ふか)い地層(ちそう)からより多(おお)くの石炭(せきたん)を掘(ほ)り出(だ)しました。炭坑(たんこう)が閉(と)じられた後(あと)、無人島(むじんとう)になりましたが、島(しま)から石炭(せきたん)を産出(さんしゅつ)した跡(あと)などが今(いま)も残(のこ)されています。
小菅修船場 小菅修船場跡
こすげしゅうせんばあと
長崎市小菅町(ながさしこすげまち) 1869年(ねん)
明治2年(めいじ2ねん) 建設(けんせつ)
日本(にほん)で初(はじ)めて蒸気(じょうき)の力(ちから)で船(ふね)を引き上げる装置(そうち)やレールを備(そな)えた、西洋式(せいようしき)の船(ふね)を修理(しゅうり)する場所(ばしょ)のことです。かつて。船(ふね)を乗せて引き上げていた台(だい)の形(かたち)が「そろばん」に似(に)ていたことから、「ソロバンドック」とも呼(よ)ばれています。
長崎造船所第三船渠 長崎造船所
ながさきぞうせんじょ


第三船渠
だいさんせんきょ
長崎市飽の浦町(ながさきしあくのうらまち) 1905年(ねん)
明治38年(めいじ38ねん) 建設(けんせつ)
小菅修船場跡(こすげしゅうせんばあと)と同(おな)じく船(ふね)を修理(しゅうり)する場所(ばしょ)ですが、こちらは大型用(おおがたよう)です。海(うみ)が満潮(まんちょう)の時(とき)に船(ふね)をこの中(なか)に入(い)れ、海水(かいすい)を電動(でんどう)ポンプで排水(はいすい)して修理(しゅうり)します。排水(はいすい)のためのポンプは100年経(ねんた)った今も働(はたら)いています。
(公開(こうかい)されていません。)
長崎造船所ジャイアント・カンチレバークレーン 長崎造船所
ながさきぞうせんじょ


ジャイアント・カンチレバークレーン
国登録有形文化財(くにとうろくゆうけいぶんかざい) 長崎市飽の浦町 長崎操船所内(ながさしあくのうらまち ながさきぞうせんじょない) 1909年(ねん) 明治42年(めいじ42ねん) 建設(けんせつ) 日本で最初に建てられた電動のクレーンで、今も働いています。遠くからその姿を見つけることができます。見つけてみてね!
(公開(こうかい)されていません。)
長崎造船所旧木型場 長崎造船所
ながさきぞうせんじょ


旧木型場
きゅうきがたば
長崎市飽の浦町 長崎操船所内(ながさしあくのうらまち ながさきぞうせんじょない) 1898年(ねん) 明治31年(めいじ31ねん) 建設(けんせつ) ここは、鉄製(てつせい)の船(ふね)の部品(ぶひん)を造(つく)るための木(き)の模型(もけい)をつくる工場(こうば)でした。現在(げんざい)は、長崎造船所(ながさきぞうせんじょ)の歴史(れきし)を紹介(しょうかい)する資料館(しりょうかん)です。
(※ 見学(けんがく)する場合(ばあい)は、事前(じぜん)に予約(よやく)が必要(ひつよう)です。)
長崎造船所占勝閣 長崎造船所
ながさきぞうせんじょ


占勝閣
せんしょうかく
長崎市飽の浦町 長崎操船所内(ながさしあくのうらまち ながさきぞうせんじょない) 1904年(ねん) 明治37年(めいじ37ねん) 建設(けんせつ) 大切(たいせつ)なお客様(きゃくさま)をおもてなしするための洋風(ようふう)の建物(たてもの)です。100年以上前(ねんいじょうまえ)に建(た)てられたものですが、現在(げんざい)も完成(かんせい)した船(ふね)のお祝(いわ)いの会(かい)などに使われています。第三船渠(だいさんせんきょ)を見下(みお)ろす丘(おか)の上(うえ)にあります。
(公開(こうかい)されていません。)