長崎県のことはじめ
ながさきけんのことはじめ

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はじまりは長崎…事始め編
はじまりはながさき…ことはじめへん

鎖国時代、西洋に開かれた唯一の窓口、長崎には、ここから始まった歴史や文化がたくさんあります。          
また、若い人の活力や熟練した人の技による、日本や世界での活躍もめざましいものがあります。
分類 項目 区分 内容 備考
自然・地理 国立公園「雲仙」 日本初 雲仙は、昭和9年(1934年)3月16日に日本最初の国立公園として、瀬戸内海、霧島とともに指定された(明治44年(1911年)4月に日本初の県営公園として開設)。 「新・美しい自然公園1 雲仙」((財)自然公園美化管理財団 発行)
雲仙市
人物 キリシタン大名(大村 純忠) 日本初 第18代大村領主大村純忠は、永禄6年(1563年)、ドン・バルトロメオの名で洗礼を受け、我が国領主で最初のキリシタン大名となった。 大村市調べ
大村市
洋画家 日本初 元有馬の家臣、山田右衛門作は、長崎で洋画を学んだ日本最初の洋画家。 「島原の絵師」(小峰書店 発行)
女性大臣 日本初 明治43年(1910年)活水女学校中等科を卒業した中山マサは、戦後、衆院議員に当選、厚生政務次官、自民党婦人局長などを歴任後、昭和35年(1960年)第一次池田内閣の厚生大臣に就任し、女性大臣第1号として活躍した。 活水学院調べ
中米グアテマラの国立サン・カルロス大学客員教授の称号 日本初 国際協力機構(JICA)から派遣され、中米グアテマラの国立サン・カルロス大学で中南米の難病「シャガス病」の研究をしていた長崎大学熱帯医学研究所の柳哲雄助手が、現地での活動を高く評価され平成7年(1995年)に日本人で初めて同大学の客員教授の称号を授与された。
世界保健機関(WHO)「環境と健康局放射線プログラム専門科学官」に就任 日本初 長崎大学大学院医歯薬学総合研究科の山下俊一教授は、被ばく者医療やチェルノブイリ原発事故関連の医療支援などの実績が評価され、平成16年(2004年)12月15日、日本人で初めて世界保健機関の放射線専門科学官を務めた。 長崎大学大学院原爆後障害医療研究施設調べ
動物 ラクダ(駱駝) 伝来の地 文政4年(1821年)、オランダ人が長崎に持ち込んだラクダを大阪の香具師が買い、全国の見せ物小屋を巡業。 「駱駝牝正写ノ図」(長崎市立博物館 所蔵)
長崎市
キングペンギンの繁殖 日本初 昭和40年(1965年)9月2日、長崎市の旧長崎水族館で、飼育下としては日本で初めてキングペンギンの繁殖に成功。 長崎ペンギン水族館調べ
日本初 昭和52年(1977年)9月24日、長崎市の旧長崎水族館で、飼育下としては日本で初めてキングペンギンの3世の繁殖に成功。 長崎ペンギン水族館調べ
長崎市
ジェンツーペンギンの人工ふ化 日本初 平成5年(1993年)8月18日、長崎市の旧長崎水族館で、飼育下としては日本で初めて人工ふ化によるジェンツーペンギンの赤ちゃんが誕生。 長崎ペンギン水族館調べ
長崎市
動物 キングペンギンのパレード 日本初 昭和38年(1963年)、長崎市の旧長崎水族館で、日本で初めてキングペンギンのパレードが行われた。現在も長崎ペンギン水族館で行っている。 長崎ペンギン水族館調べ
長崎市
メコンオオナマズの飼育展示 日本初 平成4年(1992年)7月1日、長崎市の旧長崎水族館で、タイ国から寄贈されたメコンオオナマズを日本で初めて飼育展示した(現在も長崎ペンギン水族館で飼育展示している)。 長崎ペンギン水族館調べ
長崎市
カバの人工哺育 日本初 西海市西彼町の長崎バイオパークで、日本で初めてカバの人工哺育に成功。 長崎バイオパーク調べ
西海市
オレンジスポット淡水エイの繁殖 日本初 平成2年(1990年)6月9日、西海市西彼町の長崎バイオパークで日本で初めてオレンジスポット淡水エイの繁殖に成功(5匹誕生)。 長崎バイオパーク調べ
西海市
植物 イチジク 伝来の地 寛永年間(1624~43年)、西南アジアからオランダ船によって長崎にもたらされた。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
インゲン 伝来の地 承応3年(1654年)、明国福建省の僧隠元禅師が長崎に渡来した際、日本へ初めてもたらした。インゲンマメの語源もこれに由来している。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
カボチャ 伝来の地 天正年間(1573~92年)、ポルトガル人がカンボジアから長崎に伝えた。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
カンショ 伝来の地 元和元年(1615年)、イギリス人のウィリアム・アダムス(帰化して三浦按針)が初めて蕃藷(南蛮渡りのいもの意)を琉球からもたらした。平戸にあった英国商館館長リチャード・コックスの日記(1615.6.19)には、甘藷栽培の記述があり、甘藷畑跡(伝)もある。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
イギリス館長日記(東京大学出版会)
平戸市
キョウチクトウ 伝来の地 キョウチクトウはインド原産で中国を経て享保年間(1716~35年)に長崎に移入されたキョウチクトウ科の常緑低木。 「長崎県文化百選 事始め編」(1997年 長崎県 発行)
長崎市
ザボン 伝来の地 寛文7年(1667年)、長崎にザボンの種が渡来し、長崎の唐通事盧庄左衛門が、西山神社の境内で栽培した。 「長崎県文化百選 事始め編」(1997年 長崎県 発行)
長崎市
植物 じゃがいも 伝来の地 慶長3年(1598年)、長崎へもたらされたのが最初。一説には天正4年(1576年)、長崎に渡り、トードス・オス・サントス教会の傍らの薬草園にポルトガル人が植えたとも伝えられている。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
スイカ 日本初 天正7年(1579年)、ポルトガル人が種子を長崎に伝えた。承応3年(1654年)、隠元禅師が隠元豆と一緒に種を持参し長崎で栽培したのが初めという説もある。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
タバコ 伝来の地 慶長6年(1601年)6月29日、平戸に入港したフランシスコ派修道士によってもたらされたといわれる(栽培については不明)。伝来先については、薩摩国指宿(慶長元年(1596年))、長崎桜の馬場(慶長10年(1605年)頃)など諸説がある。 「図説・歴史の島平戸」(山口康夫 編)
「在来種たばこに関する歴史資料」(日本たばこ産業㈱ 編集)
平戸市
タマネギ 日本初 江戸時代、長崎の出島でオランダ人が栽培を始めたのが最初。 「イラスト さくもつ事典」(1990年 (財)富民協会 発行)
長崎市
とうもろこし 伝来の地 天正7年(1579年)、ポルトガル船によって長崎にもたらされた。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
トマト 伝来の地 寛文年間(1661~72年)の1670年頃、長崎に伝来した。 「長崎県文化百選 事始め編」(1997年 長崎県 発行)
長崎市
西洋ニンジン 日本初 徳川時代後期に長崎に導入され、安永5年(1776年)頃から現在の長崎市矢上地方で栽培が始まった。 「イラスト さくもつ事典」(1990年 (財)富民協会 発行)
長崎市
ヒスイカズラの自然結実 日本初 平成6年(1994年)8月、西海市西彼町の長崎バイオパークの熱帯館で栽培されているヒスイカズラ(マメ科)は、日本で初めて温室内で自然に実を結んだ。温室内での自然結実は例がなく、この熱帯館内に一つの生態系があると言われ貴重な例である。 長崎バイオパーク調べ
西海市
ひまわり 伝来の地 北アメリカの原産でキク科に属する。寛文年間(1661~72年)にオランダ船で長崎に伝わった。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
ビワ 日本初 天保・弘化年間(1830~48年)、三浦シヲが唐人から得た種子を生家の茂木(長崎市北浦)に持ち帰り育てたのが始まり。 「長崎県大百科事典」(1984年 長崎新聞社 発行)
長崎市
植物 レンコン(食用レンコン) 伝来の地 レンコンが日本に渡来したのは安政7年(1860年)、老中稲葉兵部小輔が清国から紅花草弁、白花草弁、白花重弁の3種を取り寄せたのに始まり、長崎に初めて陸揚げされた。 「イラスト さくもつ事典」(1990年 (財)富民協会 発行)
長崎市
産業 近代捕鯨(捕鯨網組) 発祥の地 それまでのモリで捕らえる「突組」から網へ追い込んで捕らえる「網組」を考え出し、捕らえた鯨の数も飛躍的に伸びた。 「勇魚取絵詞」(小山田興清 著)中、鯨肉調味方より
水産業 平戸市
真円真珠の養殖技術 発祥の地 明治41年(1908年)、見瀬辰平は、大村湾で真円真珠の生産に成功した(当時の養殖真珠は、半円殻付き真珠で、真円真珠の養殖技術は画期的発明であった)。 「長崎県大百科事典」(1984年 長崎新聞社 発行)
養殖トラフグからの採卵技術 日本初 トラフグの養殖魚を活用し、ホルモンを使った新しい採卵技術の開発に全国で初めて成功(平成6年度)。 県総合水産試験場調べ
産業 和牛飼育 日本初 紀元前2~3世紀の初期と推定される牛骨などが、五島、壱岐の貝塚から発掘されている(和牛飼育の起源)。 「長崎県大百科事典」(1984年 長崎新聞社 発行)
畜産業
屠畜場 日本初 文久2年(1862年)、英国人トーマス・B・グラバーらによって、長崎市内に日本最初の解牛場がつくられた。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
産業 佐須鉱山 日本初 今から約1300年前、日本で最初の銀が産出された。 「新対馬島誌」
鉱業 対馬市
洋式竪坑(北渓井坑跡) 日本初 明治2年(1869年)、イギリス人技師モーリスが、日本最初の蒸気機関による立坑(約43m)を長崎市高島町に開坑、日産300tを出炭した。その後、明治7年(1874年)1月、官営に移り、同年11月、後藤象二郎に払い下げられ、明治9年(1876年)の廃坑まで稼働していた。 長崎市調べ
長崎市
建造物等 オランダ商館 日本初 慶長14年(1609年)、平戸に建設されたオランダ商館には、日本で初めて作られたヨーロッパ様式の建物などが立ち並んでいた。 「オランダ商館長日記」(東京大学出版会)
平戸市
興福寺 日本初 元和9年(1623年)、長崎在留の唐人たちが宗教行事を行う場として創建したのが興福寺の始まりで、日本で最初の唐寺(県指定史跡)。 「長崎県の文化財」(2001年 長崎県教育委員会 編)
長崎市
建造物等 算盤ドック 日本初 三菱重工業㈱長崎造船所の修船所跡(算盤ドック)は、わが国最初の近代的ドック(国指定史跡)。イギリスに注文したスリップ・ドックで、明治元年(1868年)12月完成した。 「長崎事典 産業社会編」(1989年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
汽車 日本初 慶応元年(1865年)、トーマス・B・グラバーは、長崎の大浦海岸に鉄道を敷設し、英国製蒸気機関車アイアン・デューク号に客車2両を引かせて走らせた。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
国産蒸気タービン 日本初 明治41年(1908年)、イギリスパーソンス社との技術提携により製作。出力500kwで三菱重工業㈱長崎造船所の中央発電所用として大正9年(1920年)まで使用された。 三菱重工業㈱長崎造船所「史料館」史料
長崎市
アスファルト道路 日本初 長崎市のグラバー園内のリンガー邸前の林の中のアプローチは、イギリス人の貿易商トーマス・B・グラバーの息子・倉場富三郎がつくらせた日本初のアスファルト道路である。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
有料道路(日見峠) 日本初 長崎街道の難所日見峠に馬車を通すために、国道・日見峠新道会社が明治14年(1881年)に開削・起工し、翌15年7月に開通(日本最初の有料道路として料金が徴収され、人が5厘、荷車3銭、人力車2銭、かご2銭、乗馬3銭、馬車5銭だった)。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
鉄橋 日本初 長崎市浜町と築町の間に架かるくろがね橋は、慶応4年(1868年)8月1日に完成した日本最初の鉄橋。設計はドイツ人技師ボーゲル、制作は長崎製鉄所頭取本木昌造があたった(現在の橋は改築されたもの)。 「長崎県大百科事典」(1984年 長崎新聞社 発行)
「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
石橋 日本初 寛永11年(1634年)、長崎興福寺の唐僧黙子如定(もくすにょじょう)は、日本初の二連アーチ構造石橋・眼鏡橋を架けた(昭和57年(1982年)7月23日の長崎大水害で流出し復旧修理がなされた)。 「長崎県大百科事典」(1984年 長崎新聞社 発行)
重要文化財眼鏡橋保存修理報告書(1984年 長崎市)
長崎市
伊王島灯台 日本初 明治3年(1870年)に点灯開始した、我が国初の鉄骨造灯台。英国人R.H.ブラントン技師の設計。原子爆弾の爆風により塔部がゆがみ、下部を鉄筋コンクリート四角形に改築したが、平成15年(2003年)に旧来の六角形灯台として改築されている。           長崎市調べ
長崎市
伊王島灯台旧吏員退息所(灯台記念館) 日本初 明治10年(1877年)に完成した、灯台の勤務職員の宿舎で、輸入セメントを用いている国内で一番古い無筋コンクリート造。英国人R.H.ブラントン技師の設計で、伊王島の大工、大渡伊勢吉によって建設。現在は、国内初の灯台記念館として利用されている(県指定文化財)。 長崎市調べ
長崎市
地下潅漑用水路(トンネル) 日本初 江戸時代(元禄初め頃)、千綿地区開発に尽力した深沢儀太夫により、いくつかの堤が築造されたが、その水源水路として掘られた約200mのトンネル。手掘りで、岩などは種油をしみこませ、火で焼いてもろくして掘削した。 「長崎県文化百選 事始め編」(1997年 長崎県 発行)
東彼杵町
建造物等 雲仙火山測候所 日本初 大正12年(1923年)1月1日、日本で初めての火山測候所として、雲仙に「長崎測候所附属温泉岳観測所」が創設された。 「長崎県文化百選 事始め編」(1997年 長崎県 発行)
ヨット 日本初 イギリス人オルトのヨットは、下がり松(現在の大浦)にあったイギリス人の船大工J・ミッチェルの造船所で建造された日本で最初のヨット。 「長崎県文化百選 事始め編」(1997年 長崎県 発行)
長崎市
長崎空港 世界初 昭和50年(1975年)5月に開港した長崎空港は、大村湾に浮かぶ箕島(みしま)周辺を造成してつくられた世界初の本格的海上空港(面積157万㎡、滑走路3,000m)。 大村市調べ
大村市
西海橋 日本初 佐世保市針尾と西彼杵半島を結ぶ西海橋は、我が国初の上路式ブレストアーチ橋(総延長 316.26m、中央径間216m)。昭和30年(1955年)10月に完成した、我が国初の有料橋。 「長崎県大百科事典」(1984年 長崎新聞社 発行)
眼鏡橋の移築復元 日本初 諫早市の本明川に架かっていた眼鏡橋は、河川拡幅のため昭和36年(1961年)9月30日に諫早公園に移築復元された(石造アーチ橋の移築復元は日本で初めて)。 「長崎県大百科事典」(1984年 長崎新聞社 発行)
諫早市
地下ダム 日本初 長崎市野母崎樺島町の簡易水道の地下ダムは、我が国初の地下ダムで、昭和49年(1974年)3月30日に完成。 「近代水道百選」
(厚生省 企画)
長崎市
淡水化ダム 日本初 平成6年(1994年)3月に完成した鷹島ダムは、伊万里湾の鷹島の入り江を堤防で締め切り海水と淡水との比重差を利用して淡水化する日本初の淡水化ダム。 県農村整備課調べ
松浦市
上五島石油備蓄基地 世界初 新上五島町の上五島石油備蓄基地は世界初の洋上備蓄基地(三菱重工業㈱長崎造船所製作、約440万kl(88万kl×5基)で、平成元年(1989年)1月オイルイン完了)。 新上五島町調べ
新上五島町
太陽光発電海水淡水化施設 世界初 新エネルギー産業技術総合開発機構(NEDO)が、世界初の太陽光発電による離島用海水淡水化システムの実証プラントを五島市黄島町に設置し、昭和61年(1986年)5月から運転研究を開始した。平成2年(1990年)に市へ無償譲渡された。 五島市調べ
五島市
太陽光発電かん水淡水化施設 世界初 新エネルギー産業技術総合開発機構(NEDO)が、世界初の太陽光発電によるかん水淡水化システムの実証プラントを五島市上崎山町に設置し、平成2年(1990年)7月から運転研究を開始した。平成5年(1993年)に市へ無償譲渡された。 五島市調べ
五島市
建造物等 60kvの海底ケーブル 日本初 電力需用の増加に伴う供給対策として、五島列島連系電線を平成3年(1991年)4月、20kv送電線から60kv2回線に昇圧増強した。そのうち田ノ浦瀬戸と奈留瀬戸の2海峡(それぞれ約3km)については、日本初の60kv架橋ポリエチレン絶縁ケーブルが、海底ケーブルとして布設された。 「ながさきの電力史」(九州電力㈱長崎支店 発行)
透過型ガス焼成炉
(透視炉)
世界初 平成8年(1996年)、世界で初めて窯の中の一部始終を見ることができる炉を開発した。 県窯業技術センター調べ
波佐見町
斜面移送機器(簡易モノレールリフト) 日本初 高齢者などの交通弱者への斜面地のバリアフリー対策の一つとして、少しでも斜面地移動の負担軽減が図られるよう、平成14年(2002年)3月、日本で初めて公道に設置。 長崎市調べ
長崎市
斜めに動くエレベーター 日本初 大浦地区にある(愛称)「グラバースカイロード」(平成14年(2002年)7月開通)は、「斜めに動くエレベーター」としては日本で初めての道路施設(市道)。 長崎市調べ
長崎市
火山体験学習施設 日本初 雲仙岳災害記念館(平成14年(2002年)7月オープン)は火山のメカニズムや災害などを学び、体験する日本初の火山体験学習施設。 島原市調べ
島原市
長崎歴史文化博物館 日本初 日本で初めて、県と県庁所在市(長崎市)が共同で整備し、運営する博物館(平成17年(2005年)11月開館)。一部復元された奉行所と博物館が一体となった建物も日本初。 長崎歴史文化博物館調べ
長崎市
透過性磁器(波佐見焼陶板)を使った壁面 日本初 長崎県美術館(平成17年(2005年)4月開館)の階段ホールに設けられた「光の壁」は、透過性磁器を日本で初めて壁に使用した。地元波佐見焼の光を透過する白磁、600mm×250mmの陶板を280枚使用。 長崎県美術館調べ
長崎市
遺跡 ココヤシ製笛 日本初 壱岐“原の辻遺跡”で出土した弥生時代中期初頭から前葉頃の遺物に伴って出土したココヤシ製の笛は、植物を利用した笛としては、日本で最初の出土例。 原の辻遺跡調査事務所調べ
壱岐市
教育 小学校 発祥の地 貞享2年(1685年)、対馬藩主・宗義真が府中(厳原)に学校を建て、小学校と名付けて家臣の子弟を教育した。 「都道府県別なんでも日本一ハンドブック」(1995年 PHP研究所 発行)
対馬市
外国語学校 日本初 1600年代から隣国の言語である朝鮮語の習得を奨励していた対馬藩は、江戸末期に朝鮮語学校を設立した。明治に入り、東京外国語学校の開学と同時に合併された。 「都道府県別なんでも日本一ハンドブック」(1995年 PHP研究所 発行)
対馬市
教育 英語伝習所 日本初 安政5年(1858年)、長崎市立山町の岩原屋敷内の長崎奉行支配組頭・永持享次郎の官舎にわが国初の英語教育機関である英語伝習所が設けられた。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
洋楽教育 日本初 明治14年(1881年)に活水学院の創立者の一人であるギール女史が活水女学校音楽科でオルガンピアノの指導を始めた。当時の長崎には日本で最も進んだ洋楽教育があった。 活水学院調べ
長崎市
公立医学校 日本初 安政4年(1857年)11月12日、オランダ海軍軍医ポンペが長崎奉行所西役所に医学伝習所を開学し、西洋医学教育を行った。その後、文久元年(1861年)に小島養生所を新設し、医学校を開校。明治24年(1891年)に浦上に校舎が移転され、現在の長崎大学医学部の前身となった。 「長崎医学百年史」
長崎市
長崎県立大学 日本初 長崎県立大学は、国公立大学のなかで初めて流通学科を設置した(平成3年(1991年)4月)。 長崎県立大学調べ
※平成20年4月から長崎県立大学佐世保校となる。
佐世保市
県立長崎シーボルト大学 日本初 県立長崎シーボルト大学は、大学院に看護学と栄養学関係の二つの専攻を一つの研究科として持ち、相互に教育研究の交流を行いながら人材育成ができる人間健康科学研究科を全国で初めて設置した(平成15年(2003年)4月)。 県立長崎シーボルト大学調べ
※平成20年4月から長崎県立大学シーボルト校となる。
長与町
文化 喫茶の法、製茶の法 日本初 建久2年(1191年)、栄西禅師が日本で始めての禅規を「冨春庵」(平戸市木引町千光寺の前身)で行い、喫茶の法(抹茶の飲み方)や製茶の法を伝え、持ち帰った茶種を植えたといわれている。これが栄西禅師による日本最初の茶畑と言われている。 「図説・歴史の島平戸」(山口康夫 編)
平戸市
美術展 日本初 文政2年(1819年)、書画清譚会が美術展覧会を丸山の遊郭「引田屋」(現在の料亭「花月」)で開いたのが美術展の始まり。 「長崎への招待」(嘉村国男 編)
長崎市
洋楽 日本初 ヨーロッパの旅から帰った天正少年使節の一行は、天正19年(1591年)京に上り、豊臣秀吉の前で日本で初めて西洋音楽を演奏した。 「長崎県文化百選 事始め編」(1997年 長崎県 発行)
六段の調 発祥の地 近世箏曲の祖といわれる盲目の音楽家・八橋検校は、筑紫箏を学びに、諫早市にある慶巌寺を訪ね、やがて箏曲「六段の調」が世に出たといわれる。現在、この寺に「六段発祥地」の碑が建てられている。 「長崎県文化百選 事始め編」(1997年 長崎県 発行)
諫早市
ハイヤ節 発祥の地 平戸市の田助港は、江戸時代の中頃(約260年前)、帆船の風(潮)待ち港として栄えた港で、そのころ船員の間で唄い踊られた田助ハイヤ節は、次第に日本海瀬戸内海を渡って全国の港町へ広がり、ハイヤ節の源流になった。 民謡研究家・深潟久 氏の研究による
平戸市
文化 西洋音楽 伝来の地 天文19年(1550年)にザビエルは平戸を訪れ、住民にキリシタンを広めた。その後、教会も建てられ、ミサでは、住民がラテン語の聖歌を西洋音階で歌ったが、これが日本における西洋音楽の事始めと考えられる。 「オラショ紀行」(皆川達夫 日本基督教団出版局)
スポーツ バドミントン 日本初 天明7年(1787年)、江戸の蘭学者・森島中良が編纂した『紅毛雑話』に、絵入りで紅毛羽子板というゲームが紹介してある。出島和蘭商館跡地にはバドミントン発祥の記念碑がある。 「紅毛雑話」(早稲田大学図書館 所蔵)
長崎市
ボウリング 日本初 江戸時代末期、長崎に初めて伝わった。文久元年(1861年)6月、外国人居留地に国際ボウリング場がオープン。このボウリング場の開設を知らせる広告日(6月22日)が現在の日本ボウリング記念日とされている。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
パブリックゴルフ場 日本初 雲仙ゴルフ場は大正2年(1913年)8月14日に完成した日本初のパブリックゴルフコース(9ホール)。 「新・美しい自然公園1 雲仙」((財)自然公園美化管理財団 発行)
雲仙市
シャヤーズ峰登頂 世界初 長崎の登山愛好グループ“長崎北稜会”のメンバー4人(隊長・田川義久さん、西彼町)が平成5年(1993年)7月6日、パキスタン東部にある未踏峰シャヤーズ峰(6,050m)の登頂に世界で初めて成功。
その他 ビール 伝来の地 ビールに関する初めての史料は、慶長18年(1613年)に平戸を訪れたイギリス人が書いた記録『セーリスの日本渡航記』にあり、平戸に持ち込まれたことが確認できる。 ジョン・セーリス日本渡航記(雄松堂書店)
平戸市
麦焼酎 発祥の地 その昔、壱岐の人たちは余った麦を兜型をした「らんびき」という古式の蒸留釜や仕込みの瓶に入れ、自家製の焼酎をつくっていたと言われ、壱岐は麦焼酎発祥の地(原料は米麹1/3、大麦2/3 の割合)。 壱岐酒造協同組合 調べ
壱岐市
コーヒー 伝来の地 江戸時代の初期(元禄年間(1688~1703年))、オランダ船が出島にコーヒー(南蛮茶)を持ち込んだのが始まり。最初は「苦い」「こげくさい」と言って敬遠されていたが、文政6年(1823年)にシーボルトが長崎に来た頃にはかなりのコーヒー党がいたらしい。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
カステラ 日本初 天文年間(1532~54年)平戸に渡来したフランシスコ教会の神父が製法を伝えたと言われる。また、元亀年間(1570~73年)の終わりから天正年間(1573~92年)にかけて長崎に渡来したポルトガル人によって伝えられ、後の長崎代官、伊藤小七郎が製造を試みたと言われている。 「長崎県大百科事典」(1984年 長崎新聞社 発行)
一口香
(いっこっこう)
日本初 江戸中期に中国の禅宗より伝えられた珍菓。まんまるくふくれた中が空洞で、せんべいのようにパリパリした歯触りの饅頭。水飴、小麦粉、蜂みつ、唐アク、胡麻を原料として作られた焼菓子。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
その他 有平糖
(あるへいとう)
日本初 南蛮貿易時代(16~17世紀)に長崎に伝来した南蛮菓子の一つで、ポルトガル 語の“Alfeloa”(砂糖菓子の意)の当て字。砂糖にあめを加えて煮詰め、冷やして棒のようにしたり、花や果物の形に似せて作った装飾菓子。 「長崎県文化百選 事始め編」(1997年 長崎県 発行)
長崎市
パン 伝来の地 天文19年(1550年)に来航したポルトガル船により平戸にもたらされたと思われる。長崎へは寛永13年(1636年)頃、出島に出入りする商人がポルトガル人から製法を伝授されたと言われる。 平戸市調べ
平戸市
ハム製造 日本初 長崎市大浦の片岡伊右衛門がアメリカ人ペンスニから製法を学び、明治5年(1872年)、我が国で初めてハムを製造した。 「長崎事典 産業社会編」(1989年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
からすみ 伝来の地 承応年間(1652~55年)に中国から長崎に伝来したからすみは、ボラではなくサワラの卵巣を使っていたが、長崎万屋町の魚屋、高野勇助が延宝3年(1675年)に野母崎方面に赴いて、ボラの卵巣を塩漬けにしたからすみを作り、評判となった。 「長崎県文化百選 事始め編」(1997年 長崎県 発行)
長崎市
ちゃんぽん 発祥の地 明治32年(1899年)、福建省出身の華僑・陳平順ら二人が、簡便、廉価なちゃんぽんを発案した。 「長崎県大百科事典」(1984年 長崎新聞社 発行)
長崎市
すきやき 発祥の地 江戸時代中期に鯨の調理方法として“すきやき”が用いられていた。 「勇魚取絵詞」(小山田興清 著)中、鯨肉調味方より
平戸市
ちゃんこ鍋 発祥の地 長崎へ巡業に来た力士たちが、薄い板金の?鍋(ちゃんくを)という中華鍋で食事をしていた。この大鍋の発音がなまり、「ちゃんこ」になったと言われている。 「長崎なんでもNo.1」(長崎版ギネスブック作成委員会 発行)
長崎市
缶詰 日本初 フランス語教師レオン・デュリー(フランス人)の指導を受けた松田雅典が、明治2年(1869年)、日本で初めて缶詰(試作品)を製造し、明治10年(1877年)に実用段階にこぎつけた。現在の長崎市炉粕町(日銀長崎支店前)に「日本最初の罐詰製造の地」の碑が建っている。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
「長崎県大百科事典」(1984年 長崎新聞社 発行)
長崎市
西洋料理 日本初 出島オランダ商館のボーイ兼雑用人として雇われた草野丈吉が、オランダ軍艦に乗船し、コックの仕事を学び、文久3年(1863年)、長崎市伊良林に「良林亭」を開業した。のちに店名を「自由亭」に改名し、大阪や京都にも支店を出した。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
「旅行の手びき」(長崎市 発行)
長崎市
パスタの製造 日本初 日本で初めてパスタが作られたのは明治16年(1883年)頃で、フランス人宣教師マルコ・マリ・ド・ロ神父が長崎市外海地区にマカロニ工場を建設し、マカロニを製造した。 (社)日本パスタ協会ホームページ
長崎市
その他 普茶料理 日本初 中国寺院で生まれた普茶料理は卓袱料理の精進もので、約400年前、隠元が来日第一歩をしるした長崎の興福寺が日本における発祥の地である。 「長崎県文化百選 事始め編」(1997年 長崎県 発行)
長崎市
時計作り 日本初 慶長8年(1603年)、「岬の教会」(現県庁の地)に時計塔(やぐら)が建てられた。この時計を作ったのはイタリア人芸術家ジョワンニ・ニコラオ神父。 「長崎県文化百選 事始め編」(1997年 長崎県 発行)
長崎市
日時計 日本初 出島オランダ商館長として赴任していたヘルマン・クリスチャン・カステンスが、出島庭内に日時計を備え付けたという記録がある。現在、出島庭園内に展示されており、石の前面にはイニシャル H・C・K が刻まれている。 「長崎県文化百選 事始め編」(1997年 長崎県 発行)
長崎市
眼鏡 日本初 寛永元年(1624年)、長崎の浜田弥兵衛がフィリピンへ渡り眼鏡造りを習い、生島藤七に教えて作らせたのが眼鏡のはじまり。江戸時代、長崎の眼鏡細工には、鼻目鏡・遠目鏡・虫目鏡などがあった。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
長崎ガラス 日本初 延宝4年(1676年)長崎奉行所が記録した末次平蔵御闕所家財道具御払帳に「日本物びいどろ釣花入り一つ」とある。また、延宝元年(1673年)に長崎奉行所御用のガラス玉職人が任命されている。万治3年(1660年)頃には、長崎でガラスの製造が始まっていたと考えられる。 「長崎県大百科事典」(1984年 長崎新聞社 発行)
長崎市
ペンキ 伝来の地 元和2~4年(1616~18年)に建築された平戸のオランダ商館にはすでに近代塗装・ペンキが施されていた。長崎市の湊公園内には「近代塗装伝来之碑」が建っている。 「長崎事典 風俗文化編」(1988年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
メリヤス 伝来の地 メリヤスは綿糸や毛糸を使った伸縮性のある織物のことで、江戸時代の初期に伝わった。ポルトガル語のメイアス(靴下の意)の訛りで、これに女利安と当て字された。紅毛人が長崎の女性に編み方を教えた、と記されている。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
レンガ 日本初 長崎熔鉄所オランダ将校ハー・ハルデスが初めて作った。三菱造船所小菅造船所の機械小屋のレンガが現存する日本最古のもの。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
大砲 日本初 高島秋帆が考案。高島流大砲雛型が現存。 長崎歴史文化博物館所蔵
長崎市
線香の製造 日本初 鄭成功の親友である元唐人・五島一官の子は、寛文8年(1668年)、中国福州から伝来した「線香」の製造を長崎で始めた。 「長崎事典 産業社会編」(1989年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
その他 潜水器 日本初 寛政5年(1793年)、徳川11代将軍・家斉は、長崎出島のオランダ商館に潜水器のドンケルスクロウを注文した。オランダは自国では作れずイギリスに注文したため、長崎に到着したのは天保5年(1834年)であった。最初に使用されたのは、安政6年(1859年)の長崎の護岸工事。 三菱重工業㈱長崎造船所「史料館」史料
長崎市
オルガン 伝来の地 天正7年(1579年)、イエズス会巡察使ヴァリニャーノ神父を乗せた南蛮船が口之津に入港し、そのとき小型のパイプオルガン3台が荷揚げされた。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
南島原市
写真機 日本初 嘉永元年(1848年)、上野俊之丞がオランダ人からダゲレオタイプ(銀板写真)の機材を入手。俊之丞の子、上野彦馬は写真術を研究し、文久2年(1862年)、長崎で撮影局を開き、我が国のプロカメラマンの草分けとなった。 「長崎県文化百選 事始め編」(1997年 長崎県 発行)
長崎市
雨の漏らない傘用布地 日本初 明治に入ってから、諫早市出身の和田半が傘用の絹の織法を発明。それまで木綿張りの傘だったので、水もれのない和田半の傘地は関東関西だけでなく、中国にまで輸出された。明治政府から藍綬褒章を授与された。 「諫早市史第二巻」
諫早市
ジャンケン 伝来の地 元禄初期(1688年~)にジャンケン(石拳)などの「拳」が中国から長崎に伝わった。 「長崎県文化百選 事始め編」(1997年 長崎県 発行)
長崎市
けん玉 日本初 ヨーロッパの「カップ・アンド・ボール」が江戸時代に中国から伝わり、安永6、7年(1777、78年)頃、「拳玉(けんだま)」ができた。 「長崎県文化百選 事始め編」(1997年 長崎県 発行)
長崎市
ビリヤード 日本初 玉突き台は明和4年(1767年)頃にはすでに出島オランダ商館にあった。シーボルトの御用絵師であった川原慶賀も『唐蘭館絵巻』に玉突きの場を描いている。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
春一番 発祥の地 安政6年(1859年)旧暦2月13日、壱岐市郷ノ浦町の漁民が五島沖に出漁中、突然の強風で53人が死亡した。この時から春のはじめの強い南風を「春一番」または「春一」と呼び、これを恐れるようになった。 「長崎県大百科事典」(1984年 長崎新聞社 発行)
壱岐市
気球飛揚の地 日本初 文化2年(1805年)正月、長崎市梅香崎の宿舎に滞在中のロシア海軍医官ラングストルフが和紙で熱気球を作り、気球をあげたのが最初。長崎市梅香崎町には「気球飛揚の地」の碑がある。 「旅行の手びき」(長崎市 発行)
長崎市
有馬のセミナリヨ 日本初 天正8年(1580年)春、日本最初のセミナリヨ(神学校、小・中学校レベルの修練院)が建てられた。このセミナリヨで学んだ4名が天正少年使節団としてローマへ旅立った。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
南島原市
その他 天正遣欧少年使節 日本初 有馬のセミナリヨの生徒であった伊東マンショ、千々石ミゲル 、中浦ジュリアン、原マルチノらの少年が、天正10年(1582年)長崎を出発し、2年6カ月の航海を経て日本人として初めてヨーロッパを公式訪問した。 「長崎事典 歴史編」(1988年 ㈱長崎文献社 発行)
西洋医学 日本初 慶長14年(1609年)、平戸オランダ商館が設立されて商館医が常勤するようになり、蘭学が伝えられた。文政6年(1823年)、ドイツ人医師シーボルトが長崎へ来ると医学は急速に発展し、多数の門人に当時最新のロマン派医学を教え、多数の最新医療器具を舶載した。 「長崎県大百科事典」(1984年 長崎新聞社 発行)
ワクチン療法の技術導入 伝来の地 文政6年(1823年)、オランダ商館医として長崎に来たシーボルトがワクチンの技術を伝えた。 「都道府県別なんでも日本一ハンドブック」(1995年 PHP研究所 発行)
長崎市
整骨科 発祥の地 長崎本下町に住んでいた吉原元棟は、得意の拳法から工夫した整骨法を始めた。吉原元棟が日本の整骨科の開祖というべき人物。 「長崎なんでもNo.1」(長崎版ギネスブック作成委員会 発行)
長崎市
私設電話 日本初 長崎の英人貿易商トーマス・B・グラバーは、明治14、15年(1881、82年)頃、高島炭坑で洋式採炭法の採炭を始めた際、南山手の居宅から高島の寓居へ我が国で初めて電話線を架設した。 「長崎事典 産業社会編」(1989年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
国際電信 日本初 明治4年(1871年)、デンマークの大北電信会社は、長崎・上海間に海底電信線を敷設し、我が国最初の国際電信業務を開始した。同年に長崎・ウラジオストック間の通信も開始した。 「ながさきことはじめ」(1995年 ㈱長崎文献社 発行)
「長崎事典 産業社会編」(1989年 ㈱長崎文献社 発行)
長崎市
近代都市計画 日本初 万延元年(1860年)11月、大浦埋め立て地に外国人の設計による地割りが行われ、道路幅、敷地寸法をそろえ、下水路を設けた。整然とした都市計画が横浜よりも一足早く行われている。 「長崎県文化百選 事始め編」(1997年 長崎県 発行)
長崎市
近代的人口調査 日本初 長崎出身の杉亨二が明治4年(1871年)、太政官正院に登用され、国勢調査の実施を提案し、明治12年(1879年)、甲斐国(山梨県)の現在人口調査を行った。これが近代人口調査の最初。 「長崎県大百科事典」(1984年 長崎新聞社 発行)
活版印刷の地 日本初 天正18年(1590年)6月21日、天正少年使節とともに宣教師ヴァリニャーノの手によって船載された印刷機が初めて加津佐のコレジヨに設置され、この印刷機によって「サントスの御作業の内抜き書巻第一」「どちりなきりしたん」「加津佐物語」などが印刷された。 「長崎事典 産業社会編」(1989年 ㈱長崎文献社 発行)
「長崎県大百科事典」(1984年 長崎新聞社 発行)
南島原市
近代印刷 日本初 オランダ通詞・本木昌造は、明治2年(1869年)、現在の長崎市興善町に日本の活版技術の起源とも言える長崎活版伝習所を開設した。明治3年(1870年)には、日本初の民間活版所である新町活版所を創設。 「長崎県文化百選 事始め編」(1997年 長崎県 発行)
長崎市
その他 英字新聞 日本初 わが国最初の活字新聞「ザ・ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザー」は、文久元年(1861年)、英国人A.W.ハンサードの手により長崎で発行された。英字、邦字を問わず、日本の近代的新聞の第一号である。 「長崎県文化百選 事始め編」(1997年 長崎県 発行)
長崎市
崎陽雑報 日本初 崎陽雑報は、明治元年(1868年)8月に創刊された日本最初の地方紙。本木昌造の長崎新聞局経営で、発行は致遠閣(佐賀藩)となっている。 「長崎事典 歴史編」(1988年 ㈱長崎文献社 発行)
日英外交 日本初 日本とイギリスの外交関係は、イギリス東インド会社の貿易船隊司令官ジョン・セーリスが、対日貿易開始の指令を受けてグローブ号で慶長18年(1613年)5月4日に平戸に来航してから始まる。 「長崎県文化百選 事始め編」(1997年 長崎県 発行)
平戸市
姉妹都市提携 日本初 昭和30年(1955年)12月、長崎市はアメリカ・セントポール市と日本で初めて姉妹都市提携を結んだ。 「長崎県文化百選 事始め編」(1997年 長崎県 発行)
長崎市
共同募金 日本初 大正10年(1921年)、長崎市内で長崎県社会事業協会が日本で初めて共同募金を実施。期間は10月20日から11月2日までの14日間で、37,319円3銭を集めた。現在の全国的な「共同募金」は昭和22年(1947年)に第1回が実施された。 「共同募金の基礎知識」(社会福祉法人中央募金会 発行)
「長崎県文化百選 事始め編」(1997年 長崎県 発行)
長崎市
魚群探知機 世界初 昭和13年(1938年)、南島原市口之津町に発足した古野電気商会(現:古野電気株式会社)は、昭和23年(1948年)に音響測深機を改良した魚群探知機を世界で初めて開発した。 「古野電気50年史 フルノ新時代に向けて」(竹島泰浩)
南島原市
大村競艇場 発祥の地 昭和27年(1952年)4月6日、大村湾でモーターボート競争が始まった。我が国競艇の発祥の地。 「長崎県文化百選 事始め編」(1997年 長崎県 発行)
大村市
中小企業団体中央会 日本初 昭和30年(1955年)10月25日、全国で初めて中央会(長崎県中央会)を設立。 「中央会40周年記念誌」
長崎市
土地改良事業団体連合会 日本初 昭和32年(1957年)9月28日、日本で最初に土地改良事業団体連合会が設立された。 県農村整備課調べ
長崎市
海洋オリエンテーリング 日本初 平成6年(1994年)7月24日、鹿町町で開催されたオリエンテーリングは、海で行われたものとしては国内初。 鹿町町調べ
鹿町町
その他 IC製作機械導入 日本初 佐世保市にある佐世保工業高校材料技術科の実習に平成8年度からIC(集積回路)製作の授業が取り入れてあり、高校としては全国で初めてIC製作機器が導入された。
佐世保市
無人化工法による砂防事業 日本初 雲仙普賢岳噴火災害に伴い警戒区域内にあった水無川で、平成6年(1994年)10月1日に着手された遊砂地の除石工事、および平成7年(1995年)9月30日に着手された砂防ダム建設工事において、全国で初めて建設機械の遠隔操作による無人化工法が導入された。 国土交通省雲仙復興事務所調べ
無人化工法による治山ダム建設 日本初 平成11年(1999年)7月14日、警戒区域内の水無川流域赤松谷地区において、全国で初めて建設機械の遠隔操作による治山事業に着手した。 県林政課調べ
火道掘削工事 世界初 雲仙・普賢岳噴火でマグマが上昇した火道を山腹から掘り抜く世界初のプロジェクト(平成11~16年度)。山体内部を約2000m掘削し、マグマの上昇と噴火のメカニズム、火山の形成史などを調査した。 島原市調べ
島原市
指定管理者制度 日本初 長崎県美術館(平成17年(2005年)4月開館)は、都道府県レベルの美術館・博物館としては、日本で初めて指定管理者制度を導入した。また、長崎歴史文化博物館(平成17年(2005年)11月開館)は、日本で初めて指定管理者に民間企業を指定した。 県文化振興課調べ
ながさきITモデル 日本初 県庁におけるITシステム開発の発注方法で、システムを細かく分割し、詳細な仕様書を発注者である県が用意することで、地場IT企業への発注を可能にした(平成14年度導入)。 県情報政策課調べ