【フォト巡礼】「苦難の道を歩いた浦上のキリシタン」

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【フォト巡礼】「苦難の道を歩いた浦上のキリシタン」 

浦上の潜伏キリシタンは、1790年の「1番崩れ」、1842年の「2番崩れ」、1856年の「3番崩れ」を経て、1865年の大浦天主堂における「信徒発見」で歴史的な役割を果たした。そして、1867年の「4番崩れ」によって1869年、3394名が全国20藩へ流配された。1873年のキリシタン禁制の高札撤去により浦上に戻った信徒たちは、1879年に仮聖堂を建て、1925年には長い道程を経て天主堂を献堂している。完成からわずか20年後の1945年8月9日、原爆投下の被害を受けおよそ8500人の信徒と共に一瞬で灰塵と化した。それから14年後の1959年に現在の天主堂が献堂された。

掲載の写真は、浦上天主堂の「信仰之礎碑」を撮影した作品である。この碑は「4番崩れ」の流配で生き残って浦上に帰郷した信徒たちを「旅」と呼び、信仰の礎として、復活50年を記念して建てられたものと言われている。

  • 撮影日時:2020年6月21日 午後7時半頃
  • 撮影場所:浦上教会(長崎市本尾町)
  • 撮影者:池田勉

※写真の著作権は撮影者にあります。著作権法によって認められる場合を除き、写真を利用することはできません。
※撮影者は被写体の人物や所有者に許可を取ったうえで撮影しています。教会堂内の写真撮影は基本的に認められていませんのでご注意ください。

長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・フォト巡礼
より(毎週金曜日更新)

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