長崎県の戦争遺跡と戦没者慰霊碑

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前書き 

前書き[PDFファイル/443KB]

 平成23年12月に「長崎県の戦争遺跡と戦没者慰霊碑」の編纂を行い、県のホームページに登載しているところです。それから10年が経過して 戦争体験者も減少しており、さらに「戦争の悲惨さを後世に語り継ぐ」重要性は非常に高まっていると思われます。
 そこで市町のご協力をいただき資料を見直し、再編集を行いました。
 そして、皆様に利活用していただき、次世代へ地元の戦争遺構や慰霊碑の存在を認識してもらい、戦争の実相、平和の尊さの継承を働きかけて  まいりたいと考えております。
 また、今回の再編集に伴いまして、「戦没者追悼施設」の後に、戦争に関する「資料館」の項目を追加いたしました。
 実際に当時の資料を見ていただき、より戦争に関する理解を深めていただければ幸いです。

令和5年3月

 

 太平洋戦争終結から66年の歳月が過ぎました。折しも平成23年は、太平洋戦争開戦から70年、満州事変勃発から80年目の年に当たります。祖国の繁栄と家族の幸せを願いつつ戦場に散り、あるいは戦後、異郷の地で亡くなられた幾多の戦没者、原子爆弾や空襲で犠牲となられた数多くの一般市民の方々へ哀悼の誠を捧げるとともに、戦争の悲惨さと平和の尊さを後世に語り継ぐ一助となればとの思いから本書を編集しました。

 太平洋戦争の4年間では、犠牲となられた同胞が3百万余、近隣諸国では2千万人ともいわれる大きな犠牲を伴いました。歳月は過ぎても戦争を体験された方々の苦しみやご遺族の悲しみは何時までも癒されることはありません。

 戦後生まれが8割近くを占める現在、戦争を知らない世代が多数となり、戦争体験を語り継ぐ方々が年々少なくなっています。同時に、歴史を刻む戦争遺跡や戦没者を祀る追悼施設も時間の経過とともに風化し忘れ去られがちとなります。実体験ならではの戦争体験者の異口同音の話しに及ぶことはできませんが、戦争に関わる長崎県内の記録物としての本書を通して、犠牲となられた方々や当時の苦難に思いを巡らしていただき、過去の『道程』から学び、恒久平和への道を進む『道標』となれば幸いです。

 最後に、本書の編集にあたってご協力いただきました県内各市町及び教育委員会並びに関係団体の皆様方に対しまして、この紙面をお借りして厚くお礼申し上げます。

  平成23年12月

長崎県福祉保健部原爆被爆者援護課

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1.戦争遺跡・遺構

戦争遺跡・遺構1[PDFファイル/4MB]

戦争遺跡・遺構2[PDFファイル/4MB]

 長崎県は朝鮮半島や中国大陸の近くに位置していることから、古くは日清戦争、日露戦争などにおいて重要な軍事拠点としての役割を果たしました。明治22年に佐世保鎮守府が佐世保市に開設され、九州及び四国、沖縄などの西日本地域一帯の防衛と東アジアへの進出拠点となりました。

 太平洋戦争においても、昭和16年12月8日の太平洋戦争開戦となった、真珠湾攻撃の「ニイタカヤマノボレ」の攻撃命令が打電されたといわれる針尾無線塔が佐世保市針尾島に今も残っています。そして、戦艦「武蔵」が長崎市の三菱長崎造船所で建造されたことも有名です。大村市には第21海軍航空廠があり、当時、東洋一と言われた戦闘機の製作修理工場や特別攻撃隊の出撃基地である大村海軍航空隊がありました。また、中国大陸や朝鮮半島に近く位置し、海路の要所である東シナ海や対馬海峡に面していることから対馬、壱岐、五島などの離島、西彼半島には外洋に向けた砲台が数多く設置されました。

 終戦を迎え佐世保の浦頭港は京都の舞鶴港や広島の呉港などとともに引揚港に指定されました。浦頭港には、昭和23年6月までに中国大陸や南方の戦地から139万人の旧軍人や一般邦人等が復員、引き揚げてきました。浦頭の地は家族の元、郷里に戻る日本上陸の一歩をしるした地であります。

 ここにご紹介します戦争遺跡・遺構は現在その跡を残すものを中心に掲載しています。

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2.戦没者追悼施設

戦没者追悼施設1[PDFファイル/4MB]

戦没者追悼施設2[PDFファイル/4MB]

 明治維新の戊辰戦争(明治元年~)から太平洋戦争(昭和16年~)の間に亡くなった長崎県籍の旧軍人等の方々は6万700余柱にのぼり、その多くが太平洋戦争4年間の犠牲者です。これら戦没者の方々を弔う慰霊碑・追悼施設が数多く県内に建立されており、多大な犠牲と悲惨さを伴った歴史を垣間見ることができます。

 幾度の事変・戦争で犠牲となられた戦没者や原子爆弾・空襲による一般市民の犠牲者を弔う県内の追悼施設は、国立歴史民俗博物館の調査(平成15年3月)によると645基を数えます。そのうち、戦没者の追悼施設は、戊辰戦争以降の戦没者追悼施設である大村市三城町に昭和9年建立の「長崎県忠霊塔」や沖縄以南の地域や中国大陸で亡くなった戦没者を追悼する、沖縄県糸満市に昭和41年建立の「鎮魂長崎の碑」のほか、250基以上が各地に建立されています。これらの追悼施設はご遺族を始め地元の方々が永年お守りし、追悼式・慰霊祭を執り行っています。

 家族を残して先立つ無念さ、夢半ばで若くして散った戦没者へ思いを馳せながら、県内各地に建立された戦没者追悼施設のうち、旧市町村単位など広範囲の戦没者を弔った144基を紹介します。

 なお、原爆死没者の追悼施設については長崎原爆資料館のウェブサイト(外部サイトへ移動します)で詳しく紹介されていますのでそちらをご覧ください。(https://nabmuseum.jp/)

 また、空襲による県内各地の被害状況については当課ウェブサイトで紹介していますのでそちらを併せてご覧ください。

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3.資料館

資料館[PDFファイル/630KB]

 今回編集するにあたり、新たに浦頭引揚記念資料館、佐世保空襲資料室、特攻殉国の碑資料館水上特攻艇「震洋」展示館の三つの資料館を追加しました。市や地域の方々が集めた貴重な資料や写真などが展示されています。実際に資料館に足を運んでいただき、当時の状況や当時の人々の気持ちを想像して、より戦争と平和に関する理解を深めていただければ幸いです。

4.資料

資料[PDFファイル/1MB]

(1)事変・戦争略史

 多大な犠牲をもたらした太平洋戦争への道程を再確認するため、明治以降の歴史を辿りながら、事変・戦争の年表を掲載しました。事変・戦争に至った背景、史実についても併記すべきですが省略することをご了承ください。

(2)郷土部隊の略歴(旧陸軍)

 戦地に出征した旧軍人の戦地での労苦、辛酸さを少しでも偲ぶことが出来ればと思い、長崎県出身者で編成された旧陸軍の部隊変遷、略歴を辿ってみました。なお、旧海軍及び郷土部隊以外の旧陸軍の変遷・略歴は掲載していません。

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このページの掲載元

  • 原爆被爆者援護課
  • 郵便番号 850-8570  
    長崎県長崎市尾上町3番1号
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