交通

熊本駅前から市電2号線乗車約20分水道町下車徒歩2分

住所

建物

〒860-0845 熊本市上通町3-34 鉄筋コンクリート造平屋 316平方メートル

竣工

設計・施工

昭和3年(1928) 設計 鉄川与助 施工者 鉄川与助

見学

公開 (096)352-3030

 

 手取教会堂は熊本市内の熊本城、熊本市役所に近い市街中心部の幹線道路沿いにある。

 熊本の地に最初に布教に入ったのはJ・Mコール神父(1850〜1911)であり、クーザン司教から派遣され明治22年(1889)3月15日熊本市に着任している。コール神父は熊本市西岸寺町(現在の下通二丁目)に住宅を借り、仮教会堂として「天主公教講義所」の小さな看板を掲げて宣教を開始した。熊本は同年4月1日から市政をしいたが、その時の人口は四万二千人余で、キリスト教に対する根深い偏見が強く残る所であった。

 コール神父の最初の事業は病人と臨終者の救済であった。長崎等から招いた三つの修道会の助けを借りて、教理を教えるかたわら孤児の世話、貧困家庭の訪問、病人の見舞い、診療所の開設、ライ患者の救済と収容施設の開設、更には養護施設の開設と順次社会福祉事業の実践に取り組んでいった。コール神父は明治26年には教会用地を買い、最初の聖堂と司祭館の建設に着手し、翌明治27年7月11日にはその祝別、落成が行われている。しかし当時教会に来ていたのは非常に貧しい人達が大半であり、上流階級の人達や役人達との交流はほとんど無かった。ちなみに明治27年の一年間に洗礼を受けた人は86人であったが、そのほとんどが臨終洗礼であったと言う。

 また神父は熊本を手始めに八代、人吉へと宣教と社会事業の枠を拡げていったが、その幾つかはその志が後世に引き継がれ、現存する社会・教育施設として今も名を残している。

 コール神父は熊本県下一円の宣教を指導する一方、明治34年(1901)12月には現在の上通町三丁目の教会用地を購入し、そこに和風大広間風の信徒席だけでも畳60枚以上あると言われるかなり大きな教会堂を建てた。長い間の社会教育事業に尽くした功績が認められ、明治39年には藍綬章を受賞したコール神父であったが、明治44年2月9日手取本町の質素な司祭館の一室で宣教者としての生涯を閉じた(★1)。

 明治・大正期と使用されてきた木造の教会堂は、大正8年に拡張したものの次第に信徒数も増加してきたことから、昭和2年にFボア神父により新時代にふさわしい鉄筋コンクリート造の聖堂建設が着手された。翌昭和3年(1928)5月に聖堂は竣工し(★2)、5月24日には着任したばかりの福岡教区Fチリー初代司教による初の献堂式が盛大に挙行された。

 鉄筋コンクリート造教会堂としては九州地区でも初めてのものであり、鉄川与助にとっても最初の鉄筋コンクリート造教会堂であった。工事発注者は熊本公教会で、建築資金はごく一部は信徒の拠金によるものであったが、その大部分はフランス本国の信徒達の寄付によるものであった。新聖堂落成の喜びの中で、落成当日歌われたと言う祝歌が残されているが、その歌い始めに「築かれし/この堂の/祈りの家/主の家/その礎/揺るぎなく/その天井美わしき/云々(★3)」とあるところからみても、天井の美しさは格別のものとして人々の目を引いたのであろう。

 建物は単層屋根構成で切妻瓦葺きで、正面中央に方形平面の鐘塔を設け、その頂部には独特の八角ドーム屋根を乗せている。外壁面は石造を想わせる溝が付されているほかロンバルディアベルトも付けられている。鉄筋コンクリートと言う比較的デザイン表現の自由な材料を用いたものの、その構成手法は従来用いてきたものと大きな差はなく、むしろ煉瓦の持つ或る種強烈な個性から解き放たれて、内にあった素材としての石造の優位性を表にあらわしたとも言えよう(★4)。

 会堂正面の鐘塔は三層構成となっており、第一層は玄関部で、正面中央の円形アーチ形開放入口に台座、柱頭を持った側柱を置き、上部で三重になった円形アーチを支える手法は今村の場合と同様である。第二層には丸窓を置き、その縁取りはデザイン化されている。そして第三層は二連の上部円形アーチ形組長窓形式の開口部となっている。

 正面入口の左右と会堂側面には柱間毎に上部円形アーチ形縦長窓が配置され、会堂中程には左右脇出入口が簡単な切妻屋根を架し設けられている。

 会堂部の第一間に主廊幅で玄関部が入り込み、その上階が楽廊となっているほか、会堂平面は三廊式で主廊部正面には多角形平面の主祭壇があり、側廊部正面は平面的に特別なしつらえはしていないが左右副祭壇として使用されている。祭壇部の裏側は香部屋となっており、主祭壇上部の析上天井に近い位置に上部円形アーチ形縦長窓が3面配置され、内陣部に明るい雰囲気を作り出している。主廊幅(N)は20尺、側廊幅(I)は8尺、列柱間隔は11尺で、N/I=2.5と比較的主廊幅の大きいのが特徴である。

 主廊部、側廊部とも天井は折上天井であり、これがこの教会堂の大きな特徴である。格縁はそのまま露出した梁であり、構造材が内部の意匠として扱われている。各格縁の間には花柄を意匠化した装飾が一面に付され、列柱間に設けられた半円アーチ形アーケードの上の主廊部壁面にも模式化した文様が並んでいる。

 内部列柱は円柱で台座及び植物文様の柱頭飾りを持つが、天井面等に付された装飾のほかは全体として簡素なものとなっている。教会堂建物の研究者である川上秀人氏はその析上天井論(★5)の中で「鉄筋コンクリート造の初めての出現である手取教会堂において、教会堂建築の将来あるべき姿として、意匠と構造を一体化した一つの試みを為したと言える。それは棟梁建築家としての静かな挑戦とも思われる。」と述べている。

 堂内は淡い色彩に包まれ、同時期に同じ構成により建設された紐差教会堂とは異なった繊細な雰囲気を特っている。

 小規模とは言え都市中心部にあって訪れる人に安らぎを与えるこの空間の存在が、この教会の存する辺りが近年大規模な再開発事業が行われ、本市の中心繁華街としての発展が見込まれているだけに、都会のオアシスとしていつまでも市民に愛され存続されることを期待したい。

(★1)カトリック福岡教区「福岡教区50年の歩み」(聖母の騎士社、昭和53年5月)
(★2)鉄川工務店経歴書「私たちの歩み」によれば、竣工は昭和3年12月となっている。
(★3)「手取教会百年史」(熊本手取教会)      
(★4)川上秀人他「長崎県を中心とした煉瓦造教会堂の煉瓦積について」(九州大学工学集報第58巻第3号、昭和60年6月)
(★5)川上秀人他「教会堂における析上天井について」(建築学会計面系論文報告集第351号、昭和60年5月)

 

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