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長崎県立対馬歴史民俗資料館
ご案内

     
   
   ■ 朝鮮通信使




 江戸時代の朝鮮通信使は、1607年〜1811年の約200年間に12回日本を訪れ

ています。通信使一行の人数は、少ないときが約300人、多いときは約500人ほどで

その構成は、正使・副使・従事官をはじめ、学者、文人、画家、書家などでした。

  第1回〜第3回までの名称は、回答兼刷還使(かいとうけんさっかんし)といって、日

本側からの国書に対する朝鮮側の回答、文禄・慶長の役で日本に連れてこられた被

虜人(ひりょにん)を連れ帰るための使節でした。第4回〜第12回の来日の目的は、

次の通りです。

第 1回
回答兼刷還使
第 2回
第 3回
第 4回
3代将軍家光
泰平祝賀 日光遊覧
第 5回
4代将軍家綱
誕生祝賀 日光参詣
第 6回
襲職祝賀 日光参詣
第 7回
5代将軍綱吉
襲職祝賀
第 8回
6代将軍家宣
第 9回
8代将軍吉宗
第10回
9代将軍家重
第11回
10代将軍家治
第12回
11代将軍家斉
 対馬藩は、朝鮮通信使来日の折には船で釜山まで行き、対馬の佐須奈、西泊など

の港を経由して府中【現厳原】まで案内しました。通信使が対馬の府中に着くと、藩主

の宗氏が警護・随行して江戸まで往復しました。その往復には、5〜8か月の月日を要

しました。対馬藩は、1回の通信使の来日で前後3年間は、準備や後処理に時間を費

やしました。 特に最後の通信使【第12回】は、対馬府中の桟原(さじきばら)館【現在

陸上自衛隊の駐屯地】で国書の交換が行われ、客館として国分寺が使われました。

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