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長崎のしま紹介【西彼】


伝説の時代
 大瀬戸町松島の漁師五平太が、漁の途中で嵐に遭い避難したビンの島の海岸で、暖をとるため焚火をすると近くにあった黒い石が燃えたので、驚いてその石を火に投げ入れるとよく燃えたといわれている。帰ってから、この不思議な石のことを村民に話したところ、島の至るところで発見されたので、その後は漁火、風呂たき、炊事に使ったという伝説が残っている。
 また、「高島記」によれば、宝永7年(1710年)に肥前平戸の領民五平太が、高島で石炭を発見、炭穴を開き、採掘を行ったとされている

江戸・明治時代〜
 長崎県では、江戸時代後半に採炭が始まり、塩の産地であった瀬戸内海地方で木材燃料の不足と経費削減のため石炭が使われはじめると、県内からも帆船によって運ばれていった。
 慶応4年(1868年)には、イギリス商人トーマス・グラバーが高島に日本初の本格的な近代炭鉱を佐賀藩との共同経営により開鉱した。
 明治以降、鉄道・紡績業などの工業化が進み、石炭の需要が次第に大きくなっていき、日露戦争や第一次世界大戦などの軍需景気によって大きく発展した。その後、戦後復興に向けての石炭増産や朝鮮戦争の影響もあり、県内の炭鉱も急激に増え、1952年には炭鉱数は最多の117鉱にのぼった

1960年代〜
 エネルギー革命により石油への切り替えが進み、石炭の需要が激減したため、1960年代以降、全国的に炭鉱の閉山が相次ぐ。
 西彼地区では、昭和43年(1968年)に崎戸炭鉱、昭和45年(1970年)に大島炭鉱、昭和47年(1972年)に伊王島炭鉱、昭和61年(1986年)に高島炭鉱、九州で唯一残っていた池島炭鉱も平成13年(2001年)に閉山を迎えた

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