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日野江城跡
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【N原城跡・
P日野江城跡
】
原城は、もと志自岐原城といわれ、日野江城(南島原市北有馬町)を本居とする有馬氏の支城であった。明応5年(1496)有馬貴純が築城したともいわれるが、確証はない。一国一城令に伴う廃城ののち,寛永14年(1637)11月から翌年2月に及んだ島原の乱の舞台として著名である。城は有明海に面して東南に突出した周囲3kmに及ぶ岬を利用して築かれた県下最大の平山城である。有明海に臨む本丸を中心として、北に西二の丸・東二の丸・北三の丸・南三の丸・鳩山出丸、そして西南にやや離れて天草丸の各郭が配されるという雄大な規模のものであった。
日野江城は、肥前西部(長崎県)最大の戦国大名であった有馬氏の居城跡である。有馬(古くは有間)氏は、肥前高来郡有間庄を本貫とするものである。経澄が建保年間(1213〜1219)に築城したと伝えられるが、実際は南北朝頃の構築であろう。有馬氏転封の後、江戸初期の元和2年(1616)以降一時松倉氏の居城とされた。城は市内の城山を中心に営まれた平山城で、山頂の本丸を中心として、その東南に二の丸、一方北西のやや隔ったところに三の丸がある。本丸の北と三の丸の南に空堀跡がある。二の丸の東南に大手門があり、付近にかなり石垣が残っている。戦国大名の居城跡を示すもので貴重である。
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