原城に立て籠もった一揆軍は子女含めて総勢2万数千人とも言われているが、これを鎮圧する幕府は総勢13万人とも言われる大々的な軍勢を送って対戦している。そうした中で、一揆軍は帰農し鍛錬された元武士、その上に原城は強固な城であったことから当初は優勢に戦を進めて幕府軍の上使板倉重政を戦死させている。後任上使の老中松平信綱は可能な限り犠牲を少なくとの意図で兵糧攻めの戦法を採っている。十分な食料備えの無い一揆軍は日増しに疲弊し、中には逃げ出す者や海岸の海藻類などを採って飢えを凌いで居たようである。
掲載の写真は原城本丸跡の南側断崖を撮影した作品である。この厳しい断崖絶壁を下りて海草類を採ったとされる。
- 撮影日時:平成30年(2018年)3月10日 午後6時頃
撮影場所:南島原市南有馬町 - 撮影者:池田勉
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