禁教時代、長崎港口にある神ノ島には多くの潜伏キリシタンが居たとされる。その中に帳方で西忠吉と水方で弟の西政吉の兄弟は1865年3月17日に大浦天主堂で起きた信徒発見の後、プティジャン神父を密かに尋ねてキリシタンであることを打ち明けている。その後、禁教中ながら外海の出津をはじめ潜伏キリシタンの郷里をプティジャン神父に案内して布教活動を支援支援している。1871年には当局に検挙されるが大きな迫害も無く釈放されて、やがて1873年には高札撤去を迎えるに至っている。
掲載の写真は神ノ島教会堂脇に設置された同兄弟の墓碑を撮影した作品である。向こう側に見える小さな島は1617年に処刑されたペドロ神父とマシャード神父に宿貸したガスパル上田彦次郎とアンドレア吉田が処刑された高鉾島である。
- 撮影日時:令和2年(2020年)10月18日 午後4時頃
撮影場所:長崎市神ノ島町 - 撮影者:池田勉
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長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・フォト巡礼
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