古賀地区の歴史を紐解いてみると、キリスト教の伝播・普及期である1570年代は、積極的に宣教を推奨する島原の有馬氏の所領下にあった。そのため、有馬氏の庇護を受けてほとんどの住民はキリシタンだったと言われている。その後、江戸時代の禁教期になると、一転してキリシタンの取り締まりが強化されている。その課程でキリシタン撲滅に功績のあった僧侶・正哲を称えて1626年に福瑞寺が建立された。
掲載の写真は、福瑞寺境内に保存されているキリシタン墓碑を撮影した作品である。当墓碑は、カマボコ型で花十字の紋様が刻されており、同寺付近にあったようだが年代などは不明である。
- 撮影日時:2020年6月6日 午後4時半頃
- 撮影場所:長崎市古賀町
- 撮影者:池田勉
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長崎と天草地方のキリスト教関連歴文化遺産群ウェブサイト(おらしょ-こころ旅-)・フォト巡礼
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