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| ● | 波佐見焼 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今から約400年前の1598年(慶長3年)豊臣秀吉の朝鮮出兵に参加した大村藩主大村喜前は朝鮮の陶工・李祐慶等を連れて帰りました。彼等は、既にやきものづくりをしていた波佐見の地に居を構え、連房式階段状登釜を築いて本格的な焼き物づくりをしたのが波佐見焼の始まりです。 陶器をつくりながら陶石の発見に努め、三股陶石が町内で見つかったことで、青磁と染付の磁器へ移行し、江戸後期には全国に流通し日本一の生産量を誇るまでになりました。 波佐見焼を代表する器に「コンプラ瓶」と「くらわんか碗」がありますが、コンプラ瓶は東南アジア向け輸出容器として、またくらわんか碗は始めて庶民が手にすることが出来た磁器碗として庶民に広く愛され、日本の食文化の発展に大きな影響を与えました。 手頃で良質な日用食器を提供することと白磁に呉須で大胆に描く模様は現在も生き続けています 。 |
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| ● | 三川内焼 | ||||||||||||||||||||||||||||
今から約400年前の1598年(慶長3年)豊臣秀吉の朝鮮出兵に参加した平戸藩主松浦鎮信は朝鮮の陶工・巨関(こせき)を連れて帰りました。巨関が主藩の命を受け平戸・中野で最初の窯入れしたのが三川内焼の始まりです。 平戸には良質の陶石はなく、藩内くまなく探し求めた結果ようやく針尾の網代で磁器の原料となる陶石が発見されたことから、採石場に近く燃料となる樹木が豊富な三川内に落ち着きました。 三川内焼は、平戸藩の被護のもとで殿様への献上品を中心につくる御用窯として発展したため、窯元毎に技を競いながら白磁に染付の精巧な作品が次々に誕生し、国内のみならず海外の王侯貴族に愛されました。 御用窯として育まれた技術は、現在に受け継がれ約30の窯元が400年の伝統に現代的感覚を加味しながら器づくりを行っています 。 |
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