遺跡とは、過去の人々の生活した跡が残されている場所で、主に住居や施設の跡や生活道具などから構成されます。このような遺跡の中で特に後世に残す必要があると判断され、指定を受けたものを史跡といいます。

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遺跡名

 串山ミルメ浦遺跡(くしやまみるめうらいせき)

所在地  壱岐市勝本町東触白浜辻、小串
緯度  北緯33°51′27″ 経度  東経129°42′30″
標高  5m 地形  砂丘
種別  貝塚・遺物包含地 時代  縄文時代~古代
資料所在地  壱岐市教育委員会 指定状況  未指定
参考文献等  『串山ミルメ浦遺跡』勝本町文化財調査報告書第4集 1985、同第7集 1989、同第8集 1990
遺跡・史跡の概略
 遺跡は、壱岐島最北端の串山半島の標高5mの陸繋砂州状の砂浜地形に立地し、東の外海は波が荒く、西の内海は入り江が深く波静かである。半島一帯には古墳や弥生時代の遺跡が多い。遺跡の発見は古く、大正年間に遡る。1979年海岸の道路工事に伴う九州大学の調査と、1987年勝本町教育委員会の依頼により県教育委員会が調査を行った。調査の結果、遺構は住居跡1棟・炉跡・カマド・人骨埋葬の土坑などが検出され、遺物も土師器・須恵器・砥石・骨角器等が出土した。自然遺物ではアワビ・サザエの貝殻が多く、クジラの骨も出土した。特に注目されたのは亀の甲羅を利用した亀トの出土である。大量の甑把手の出土から、干しアワビ生産に関する豊漁を願って吉凶を占ったと考えられる。「延喜式」には壱岐・対馬・伊豆から朝廷にト術優良者を迎えたとあり、文献を裏付ける結果となった。豊富な遺物から6世紀から7世紀にかけての生産遺跡であることがうかがえ、壱岐島の古墳文化と中央政権との関係を考える上でも貴重な遺跡である。
主な遺構
 古墳時代住居跡・炉跡・カマド
ファイル 遺構実測図   ファイル 遺構(カマド跡)      
主な遺物
 土師器、須恵器(墨書土器)、陶質土器、製塩土器、金属器(斧・銛・釣針・刀子等)骨角器(離頭銛・刺突具・アワビ起こし等)、亀ト、耳環
ファイル 土器   ファイル 金属器   ファイル 亀ト   ファイル 骨角器  
               
遺構・遺物の写真
 
ファイル 遺跡遠景   ファイル カマド跡遺構   ファイル 遺物出土状況   ファイル 出土遺物(亀ト)  
遺構・遺物の地図
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