諫早湾の干拓の歴史

 諫早湾の歴史は干拓の歴史と言っても過言ではありません。有明海・諫早湾は潮汐の変動が最大約6mもあります。例えば東京湾では2m程度しかありません。 このため、諫早湾は日本においても独特な海域であり、美しい自然と海の幸を提供してきた反面、 この干満の大きさと遠浅な地形のために湾奥部では有明海から運ばれる土粒子が堆積しやすくなり干潟が発達しやすくなっています。  

ガタ上げ作業
 昭和50年代 旧森山町万灯樋門上流側出口水路のガタ上げの作業
(海水の侵入により、ガタ土は河川や水路にまで堆積します。)

ミオ掘削作業
 昭和50年代 旧森山町万灯樋門下流ミオ筋を掘る作業
(背後地から排水された水は諫早湾に滞積したガタ土により滞留するため、この作業を怠ると背後地は 排水不良により浸水してしまう。)

ゲートのガタ土
昭和50年代 旧森山町万灯樋門ゲート周辺のガタ土の滞積状況
(ゲートが閉塞すると、干潮時でも排水できない。)

 さて、こうした海の働きによって堆積した土をガタ土といいますが、諫早湾では昔から干拓されてきており、 堤防の前面にガタ土が堆積し始め、長い間に背後地よりも高くなってしまうことになります。 背後地の常時排水が困難になるだけでなく、ガタ土が水の流れを邪魔して、洪水時に被害を受けやすくなっているのです。 現況でもガタ土の方が背後地よりも約3m近く高くなっている部分すらあります。
 このため、諫早湾奥部は地域の排水がどうしようもなくなると、排水改良と農地造成の2つの目的を兼ねて、 数百年も前からその都度干拓を繰り返してきました。これまでに約3,500haほどが海から農地へと変わっていると言われています。 干拓は避けることのできないこの地方の宿命なのです。

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