幕末の砲術家として有名な長崎町年寄、高島四郎太夫秋帆の宅跡である。高島家は大村町に本宅(現在の万才町)があったが、天保9年(1838)大村町の本宅が類焼して以来ここに住んでいた。
秋帆は荻野(おぎの)流砲術を父に学び、オランダから銃砲を購入し、併せて西洋砲術を研究し、わが国兵制改革の急務を幕府に上申した。天保12年(1841)5月武州徳丸(とくまるが)原(はら)(現在の東京都板橋区高島平)で洋式の訓練を実施するなど幕府より褒賞を受けたが、翌年無実の罪で捕えられ、12年後釈放された。旧宅には、石垣、土塀、井戸、常夜燈が残っている。
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