応永27年(1420)彼杵郡河棚村(現在の東彼杵郡川棚町)の長浜五所大明神に寄進された一部600巻を、のち文明18年(1486)出羽立石寺如円坊の施入によって、安国寺に入った。版本は高麗初(しょ)雕(ちょう)本(ぼん)という。
高麗版のうち6帖に、契丹(遼)の重煕15年(1046)丙戌4月に高麗国金海府戸長礼院使許珍寿が亡父追善のため大般若経六百巻を摺写供養した旨の墨書がある。写本では、建武4年(1337)・正平18年(1363)・建徳2年(1371)・応安5年(1372)・天正元年(1573)に至り、長い年月での完本につとめたことがうかがえる。高麗初雕本はわが国では珍しく、京都南禅寺に有欠本が伝わっている。
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