豊玉町塩浜の西南の尾根に、東西約240mにわたり、高さ1.1m、上幅0.6m、下幅1.2mの石垣が築いてある。対馬全島に類例がない。元禄の野猪狩りは、対馬藩政史上画期的な事業であったので、その遺構ともいう。ほかに山城説、斎垣(いがき)説もある。ただ西彼杵半島や五島各地に現存する猪垣に、構造がよく似ていること、ししがきは一般に鹿垣と書き、猪のみが対象でないことなど、村の共同防災用・狩猟用も加え、まだ考察の余地もある。 大きな地図で見る