臨済宗大徳寺派の定光寺にある南北朝期の木彫仏。毛筋の彫り目も整えられた高い髻(もとどり)を結いあげ、宝冠もつけた頭部は菩薩形のものである。しかし、衣を両肩に被う姿は如来であり、腹前に両手を重ねて示す印相も釈迦如来の禅(ぜん)定(じょう)印である。いわゆる宝冠釈迦あるいは華厳の釈迦とも呼ばれていて、毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)として華厳の説会を示したものであると説かれ、形式上は密教の影響によるものと思われる。高い髻や毛筋の整え方、あるいは涼やかな面貌や衣のやや繁瑣な彫法には、中国宋風を受けた鎌倉彫刻の特質を受けついだところがみられ、畿内(きない)仏師の制作によるものだが、概念的な彫出となっていることなどから、南北朝時代の制作と考えられる。畿内から地方への仏像波及の遺品で、島嶼(とうしょ)にも及んでいる資料として注目されるものである。像高96.4㎝。