玉之浦の大宝寺(高野山真言宗)に伝わる14世紀の梵鐘。玉之浦は五島・福江島の南西部に位置し、古くは遣唐使船の寄港地となるなど海上交通の要衝であった。
鐘身をつつむ輪郭は肩からやや張りのある曲線の裾広がりになり、下方で垂直にくだって均整のとれた姿をみせる。総高1mほど。上帯は素文、乳区には円錐形の笠をつけた乳が4段4列に配されている。撞座は八葉蓮弁で、竜頭の長軸方向に配置されていて下帯も文様がない。池の間と縦帯に銘文が陰刻されていて、「大日本国関西路利肥前州五嶋珠浦弥勒山大宝寺」にはじまり、最後に「応安八年歳次乙卯二月十八日 友瓚書之・大工豊前小倉 藤原顕宗・十方檀那院主 賢仙」とあり、応安8(1375)年に豊前国小倉の鋳物師(いもじ)「藤原顕宗」が作者であることが知られる。なお、縦帯には「大願主幡州多賀郡西林寺住増信」、すなわち播磨国多可郡(現・兵庫県西脇市)の西林寺の僧・増信が大願主となったことが記されており、海の道を介した広域的な交流がうかがわれる。
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