平戸市田助町に伝わる民俗芸能である。由来ははっきりしないが、江戸時代後期にはすでに成立していたことが文献からわかる。
芸能の内容は、太鼓と三味線および囃子で構成される。本来は、これに前後左右に手を動かす所作が伴っていたが、昭和43(1968)年に振り付けが新たに付加され、現在の踊りとなった。太鼓と三味線で調子高く、囃子は即興的で賑やかに唄われる。出だしは押さえ気味であるが、徐々に調子が上がってくるにつれてテンポは速くなり、締め太鼓、三味線の響きに唄、囃子のすべてが融合する。歌詞は艶唄の要素が強い。
ハイヤ節および同系統の芸能は日本各地に分布しているが、発祥地をめぐっては、鹿児島ハイヤ(鹿児島県)、牛深ハイヤ(熊本県)などとともに田助ハイヤ節もその候補に挙げられている。
また、日本海最西端に残る田助ハイヤ節は、海上航路を介して日本海沿岸地域や東シナ海沿岸地域の同系統の民謡に大きな影響を与えたと考えられている。
さらに、江戸時代以来同じ音調(節回し)で今日まで受け継がれており、これらの点において高い価値を有している。
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