長崎県北部、北松浦半島の西に位置する平戸島に所在する外国及び外国人に関する遺跡である。
慶長14(1609)年和蘭船2隻が入港し、寛永18(1641)年長崎出島に移転するまで約33年間、平戸はわが国唯一のオランダ貿易港であった。商館は慶長16(1611)年、崎方町の町屋22軒をこわして住宅倉庫を建て、元和2(1616)年に防波堤ができ、元和4(1618)年には、さらに付近の民家50戸を取払い増築工事を行った。オランダ塀もこのとき築造されたものである。オランダ塀のほか、オランダ井戸、埠頭、倉庫の壁、防波堤、海岸の石垣などが残っている。現在、復元している建物は、最大の建築物で寛永16(1639)年に完成したものであり、長さ46m、奥行き13m、砂岩切石を約2万個使っている。
しかし、当時の禁教令の下、キリスト生誕にちなむ西暦で建造年が書かれたことにより、完成後の寛永17(1640)年11月9日、将軍徳川家光の命を受けた大目付井上政重によりすべての建物の破壊が命じられた。
江戸時代初期、東アジアにおける貿易拠点であり日本の対外政策の歴史を考える上で重要なものである。
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