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ファイル 旧島原藩薬園跡

幕末、藩命によりシーボルトの弟子により開かれた薬園跡。現在薬草見本園として整備されている。
旧島原藩薬園跡
史跡(国指定) 
よみがなきゅうしまばらはんやくえんあと
指定年月日昭和4(1929)年4月2日
所在地島原市小山町4701ほか
管理・保護団体島原市
最寄り駅島原鉄道「島原」駅下車 車で5分

 雲仙岳眉山のふもとに所在する島原藩主松平家の御薬園跡である。
天保13(1842)年シーボルトの門人で豊前の医師、賀来佐一郎を藩医として招き、藩士飯島義角とともに弘化3(1846)年から建設に着手し、嘉永6(1853)年に薬園として完成した。南北約90m、東西約110mの敷地は三方を石垣で囲まれ、約1万㎡の広さを持つ。園内は小径によって南北に区分され、薬草畑跡は全体に東に傾き、段々畑になっている。薬園方詰所跡は敷地の西南隅にあり、金庫跡・倉庫跡、詰所跡の建物跡はいずれも「コ」の字の石垣に囲まれている。また、2箇所の水溜、8基の貯蔵施設(石積の竪穴)が残るなど、薬園方の活動を示す遺構も発見されている。薬園方詰所の南手には薬師仏をまつる2基の石厨子がある。薬師仏は、現在、島原市宮の町の猛島神社宝物庫に納められている。
 幕末の遺構をよくとどめており、これまでに石垣、屋敷跡、建物跡、貯蔵穴、貯水槽などが復元されている。

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