相浦川の左岸標高89mの丘陵南斜面左岸壁に形成され、後期旧石器時代から平安時代まで長期間利用された洞窟遺跡である。
4洞で構成され開口部は南向きである。洞窟前は急傾斜の谷で、谷底に湧水がある。昭和44(1969)年の発見以来10回の発掘調査が行われた。土層は12層確認され、洞窟が主体的に利用された時期は旧石器時代から縄文時代草創期で、ナイフ形石器文化層を最下層とし、その上に細石器文化層が厚く堆積する。
遺物は各層から出土しており、主な石器としてナイフ形石器、掻器(そうき)、削器、石核、細石器等がある。土器は、豆粒文(とうりゅうもん)土器、隆起線文土器、爪形文土器、押引文土器、押型文土器へとその変遷が確認された。
細石器と共伴した最古級の土器「豆粒文土器」は、当時の科学的年代測定の結果、12,000年の古さを示す。世界最古級の土器である可能性をもつ。その後の変遷が層位的に解明され、我が国の縄文時代の始まりを示す遺跡である。
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