長(ちょう)崎(き)山(さん)清水寺は、元和9年(1623)に京都清水寺の僧慶(けい)順(じゅん)によって創建された。創建の4年後には長崎奉行や島原藩主等の支援を受け、京都清水寺を模した懸造の舞台を持つ最初の本堂が完成をみた。現在の本堂は、寛文8年(1668)に唐商何(が)高(こう)材(さい)が日本人妻の菩提を弔うため、子の兆(ちょう)普(ふ)・兆(ちょう)有(ゆう)とともに行った寄進を基に再建されたものである。
この建物の特徴は、元来真言宗の寺院であるが、これに長崎の唐寺にみられる細部様式が混入している点である。外陣部分には黄檗天井があり、扁平な垂木や太鼓型沓石を用いるなど唐寺の影響がうかがえる。
屋根は母屋部分が入母屋造で、その四周に下屋屋根を架け重層としている。
長崎県内における最古の密教寺院の本堂として貴重な建築物であり、平成17年度より5年間の計画で実施された解体修理工事では、寛文8年に造られた本堂をベースに文久2年(1862)当時の姿に復原された。
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